諭吉佳作/menたち

書きたいことを書きたいように書くかもしれないし書かないかもしれません

24時間以上残ります

おはようございます。諭吉佳作/menです。

 


俺はちょくちょくInstagramの質問を募集できる機能を利用しています。

 


はじめのころは誰ぞがやってるのを見てへーそういうもんかねなんて思って、六つの質問を収めたスクリーンショットに、それぞれの質問に対応する短い文章を回答として書いて、ストーリーズに載せていた。

今はなぜか機能通りに、一つ一つの質問をとりあげて相手側に通知がいくような方法で回答をしている。普通逆だと思うんだけどね。慣れてきたからこそ、機能として想定されている方法とは違う方法を見つけて実践する、って方が自然なんですけど。

それでも最初も今も、質問募集の機能を利用することの目的、目的というとちょっとひんやりし過ぎている、意義、これも冷たいか、良さですね。質問募集の機能のどこに良さを感じているかというのは変わらなくて、その中の一つに、他人からの質問に答えることで自分のことをはっきりさせられるというのがある。自分のスタンスとかその理由とか。まあもちろんそれだけではないんだけど。

考えたことなかったようなことを、わざわざ一に立ち返って考えることになったりするのがありがたい。まあ俺はそういう提起が自分の中から生まれる頻度が高い方だとは思うんだけど、それでもたとえば最近「好きな寿司は何か」なんて答えたけど、普段は半分自動的みたいに食べたいもの食べてるってだけで、あんまり考えたことなかったりする。や、まあこれはちょっと無理やり言いました。好きな寿司を一に立ち帰って考えることはないです。

聞かれてもいないのに補足を長文でしたりするのも、もしかしたら質問者の方からしたら恐怖を感じるのかもしれない(もしここにいらしたら伝えます、いつもすみません)のだが、俺にとっては俺のことをゆっくり考える時間というか、そしてそれを他人の目に触れてもよいくらい具体的な文章にすることで、より自分の中に確かなものとして残る、そういう実感が得られるわけですね。やった!

 


ところでなんでこんな話をし始めたのかというと、Instagramでの自分の振る舞いとはてなブログでの自分の振る舞いがそこそこ異なっているということについて、さっき初めて考えたからです。

振る舞いというか、シンプルに文章の書き方です。自分は文章を書くのが好きで、そうでなきゃさっき言ったみたいな、書くことで考えをまとめるなんてことしないと思うんですけど。それにしても、Instagramでの文章ははてなブログでの文章とは大きく違っている。

こんな話をすればお気づきかもしれないが、今日の俺はちょっと違う。今ここで書いているのはInstagramのストーリーズで俺が書きそうな文体で書いたはてなブログです。自分としてはそのつもりです。けどわりと自信がない。

Instagramのストーリーズでの俺の文章ってのは、まず「ら」行や「い」を省いた言葉を使う。「けれど」は「けど」になるし「していない」は「してない」。全部が全部ではないけど、こういうのを結構使う。そういう省いた言葉が今の時代において間違った言葉使いとされるのかされないのかはよく議論になるところだがそれは置いておいて、少なくともはてなブログで書いているときの俺は、絶対に省かない。もうこれは決めてるから、わざとなんらかの効果を狙っているんでもない限りは使わないようにしている。はず。確認してないのでわからないですけど。あとは「〇〇と言った」が「〇〇って言った」になるのとかもよくやる。

敬体と常体が入り混じるのはどちらも同じかもしれない。はてなブログの方でもちょくちょくあると思う。これが結構ブログっぽくていいよななんて思ってるんですよね。

TwitterとかInstagramとかはてなブログとかもしくはどこかの雑誌に寄稿するとか、載る場所によって書く文章が違うなんて当然のことなんだけど、どこでそのスイッチが切り替わるのかということを考えるとわりと妙だと思う。考えてやっていることなのかそうでないのかもわからないが、どちらを書いている時が自然だとか楽だとかそういうのはないと思う。

ただひとつぼんやりと決め手になっている気がするのは、ブログの文章は範囲選択やコピペができる、つまり入力された文字がずっと入力された文字として存在し続けるのだが、Instagramのストーリーズの文章ってのは入力して完了した瞬間に絵の中に溶け込んでしまうから、文字の自覚が薄い気がする。質問への回答でしかないという程度の自覚なのかもな〜と今思った。そうだ、質問されてそれに答えるんだから、そもそも人間同士なわけだ。そこが一番大きいでしょうね、勝手にぶつぶつ言ってるブログとちょっと違うのは。

InstagramTwitterで書いてる時って、わざわざ「。」をつけるのが気持ち悪いときがあって、スペースを代わりにすることが多いんだよね さすがにここでそれをやっちゃうと読みづらすぎるからやめました やろうと思ったんですけど

こういう再現のことを俺は擬態って呼ぶことがあるのだが、俺はTwitterでの振る舞いが一番わかりやす擬態かもしれないです。擬態と言っても擬態だから嘘とかそれでも本当とかそういうことは問題じゃなくて、ただ、ただなんでしょうね。俺はずっと矛盾してる気がするけど矛盾を許してることに安心してると思います。なんの話してたっけね。

書いてるうちによくわかんなくなっちゃったのでまた考えたいですね。

 


ばいば〜い✋