諭吉佳作/menたち

書きたいことを書きたいように書くかもしれないし書かないかもしれません

EP「THE TRAILERS」について

 実際に、時間がかかったし、何度も同じ場所を行ったり来たりしたし、いくつも意見をぶつけ合ったから、本当に大変だったと振り返るのだが、こう書き出してみると、共同制作って本来そういうものなのでは、とも思う。ただ、ではなぜそんなに大変だったとしきりに感じるのかというと、今回の制作は比較対象のない、正解のわからない問題だったからだろう。(まあそれも、作品なんてぜんぶそうでは、という話では、ある。)

「THE TRAILERS」
Artist:諭吉佳作/men & abelest
Artwork:Yo Oyama
Mastering : 木村健太郎 (Kimken Studio)
Cat# :MARU-196
Released : 2026/06/24

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 映画の予告編を模した音楽を作ると決めたが、そんなものはない!音MADのような、結果的に共通の要素を持つ音声作品はあるだろうが、少なくとも私の知っている限りでは、同様の理念のもとに制作された音楽は知らない。「映像がないのに"特報映像"ってタイトルだったらめちゃウケますよね(笑)」みたいなノリと、全工程を検討し修正し続ける真摯さが共存している、かなり不思議な制作だった。

 ここに記すことは基本的に私の考えであって、(制作中に逐一共有してはいたものの、)必ずしもabelestさんと同じとは限らないと断っておく。


 映画予告編は往々にして、現在の私たちに平気で嘘をつき、未来の私たちを映画館に居させようと仕向ける。やがて私たちは暗い部屋で、嘘をつかれていたと知るのだが、その嘘に感謝することになる。どんないきさつであれ、私は映画館に来てこの素晴らしい作品を見られたのだから__というのは広告と商品全般の関係性の事実でもあるが、映画の広告つまり予告編はその性質がとても顕著だ。
 食べ物の味を、食事とは無関係な「音と映像」で表現するとき、宣伝と実際の商品との間に嘘というか、多少の乖離があっても仕方ない。そもそも使われる感覚が違うわけで、そっくり予告するのは不可能だからだ。一方映画は、本編も予告編も同じ「音と映像」の形式であり、まったく同じ素材を使えるのが特徴的だ。やろうと思えば本編の切り出しをそっくりそのまま使えるその上で、意図的に嘘をつく。(もちろんまず第一には尺の問題である。)
 今回の"予告音楽"制作ポリシーのまずひとつに、そういった「本物を使った偽物の期待感」の操作、がある。劇的なシーンだけが展開されるが嘘が混じっているし核心には触れない。寸止めの快楽を味わわされる。本編を期待する。しかし今回は架空の映画なので、"偽物の「本物を使った偽物の期待感」の操作"ということになる。寸止めとは寸前で止めたということだが、今回の作品に後はなく、動き出さない。それは拍子抜けを意図的に生み出すということでもある。

 また、特に私が志したのは、音楽としてのあり方だった。多くの予告編に見られる、静謐な劇伴から熱狂的な歌モノ主題歌へのアクセスや、入り乱れる、文脈から切り離された印象的なセリフ郡、場面カット。驚かせるための唐突な空白と、ものものしい効果音。予告編は、まず本編があり、その素材を用いて後から作られた別物なのである。しかし、今回はそれらぜんぶを本編として、音楽の展開として引き込みたかった。セリフを歌と同じ土俵に置き、その両方をメインボーカルにしたかった。展開があたかも追加編集のように聴こえて、さらにそれが音楽的展開として自然に作用していたら成功だ。一本の完成した楽曲をカットしてセリフと効果音を加えたのではなく、ぜんぶ一体のものにしたかった。映画の予告編から音だけを取り出したものでなく、全体像が実際に音楽になっていなければだめだとも思った。(や、とはいえ、実際の音楽とは……?逆に、音楽じゃないものとは……?)
 結果的に、何度も進退を繰り返しながら全工程(作詞・作曲・編曲・セリフ考案・ボーカル録音・セリフ録音)を行き来したのは、品質を上げる以外にも、形式的な意味があったと思わされる。「後でやったこと」がひとつもなくなったからだ。いつだったかに見かけた、「AIが生成するイラストは、線画だ色彩だという工程を分けて認識し順行するのでなくただ完成版を色の集合として出力するようにできているからなんかもやっとした輪郭になるのだ(というような旨、私の解釈が入ってしまっていると思う)」という説を思い出した。今思うと、それが今回の制作方法の理想だったのかもしれない。(ただここを掘り下げていくと、何がどうだったら「後」もしくは「先」なのか、認識が曖昧になってくる。予告編は、作るのは当然に本編の「後」だが、予告編は予告するものだから、放映は本編より「先」であり、予告編のなーんか未確定な感じ、というのは、すべてが確定しているからこそ作り出せる意図的な演出である。)
 ちなみにこの、ボーカルとセリフ、また楽器演奏の打ち込みとオーディオの大胆な切り貼りを同列に扱うこと、予告音楽とは予告編に使われる主題歌のことではなく、セリフも編集も含めてぜんぶを一個の音楽にすること、について、制作中の私は「今回やってる制作は、全部同じところで作っているし、原作と呼べる映画本編、フル尺の曲(主題歌)、がなく、切り貼りされたかのようなものを一から作っている、つまり原作が切り貼り状態、ということが前提。もしこれらの「予告音楽」が何かの主題歌になって予告編が作られるとしたら、すでに切り貼りされてセリフも乗っているそれらの曲を、さらに切り貼りして、さらにセリフを乗せる、という入れ子構造になるということだ」と説明していた。意味がわからない。仮定が仮すぎる。

 というような作り手の考えが、今となってはついに完成された一本ずつ、計三本の音源から伝わってくるかどうかは、もう全然わからない。作っているときも、そんなことは聴く側には問題ではないのかもしれない、考えすぎなのかもしれない、という思いはたくさん浮かんできた。聴き手を舐めているとかそういう話ではなく、我々が深みにはまっているだけなのではと我々自身を恐れたということだ。実際、深みには何度もはまっていた。

 ただひとつ完成版からはっきり言えるのは、こんなに歌ってしゃべっているものはそうたくさんはないのではということだ。重なりすぎである。でもそうでなくてはだめだろう。
 たとえば声ネタと呼ばれるような、既成作品から抜き出した(かのような)セリフやナレーションなどをサンプルとして取り込むことはあっても、そのために(いちおうおおまかなストーリーのある)セリフ郡を収録し、こんなにたくさん(しかも断片を、支離滅裂に、とはいえ、本物の予告編よりも使える尺が多く、またセリフ郡が中身のない虚無的なものになってしまうことを避けるため、けっこう会話している。本物の予告ほど支離滅裂ではない。)並べる、しかもその制作をぜんぶ同じ人がやっている、というのはあまりないことなのではと思われる。まあ今回の制作において一人複数役というのが必須の要素だったかというと、別にそういうわけではなく、そのほうが楽だから、やりたかったから、がいちばんの理由なのだが、それによって偽物、模倣であることは強調されている。わざわざ他者を巻き込んで「偽物を作りましょう!」というのは矛盾している。ちょっと本物になってしまう。
 今考えると、上記「(かのような)」は今回の制作を端的に説明している。あたかも本編があるかのような、それをその後に編集したかのような。これは、ない本編から素材を抜き出し続ける作業だったのだ。

 今回録音しすぎて、もうセリフの録音がまったく恥ずかしくない。映像作品から抜き出したかのような声、権利的にクリアな、けど素人のだから安易に使える音源、がほしい人はぜひ声かけてほしい。なんでも録音します。

 6月24日0:00になると、告知はまだだが、「THE TRAILERS」は人知れずリリースされた。配信サイトに三曲のタイトルが並んでいるのを見たとき、何故か「うわ予告編だ!」と思えた。タイトル自体はもちろん、おそらくフォントも制作中と同じだ。その文字列は見たことがあるのに、やはりLINEやテキストファイルで閲覧するのと違い、そこにはプロダクトと化した文字が並んでいる。すごく、本当の予告に見える。(本当の予告に見えるとは……?)

 

 

以下は感想・思い出したことたちです。思い出したら追加メモします。

 

⚫︎EP「THE TRAILERS」

・まず、結局私がしたことは何かというと、ベースとなる歌詞・メロディ・トラックの制作、脚本の整理の協力、間を埋める普遍的なセリフの考案、ボーカル、セリフ読みです。

・作詞曲、トラック制作は普段やっているのと大差ないのですが、やはりシナリオ・予告編らしさ・音楽性のバランスにはずっと悩んでいました。

・歌メロ自体は自分の作るものの中でもかなり元気でポップな部類と思われます。

・セリフを録音しまくるのは初でした。ただ長らく漫画を音読してきた甲斐(?)があり(?)、前のめりでできました。今聞くと、あまり自分が喋っているとは思えません。もう同じ声出せないと思う。

・こんなメモを発見した。f:id:ykcksk_men:20260629201426j:imageちょっと違うが、ちょっと実現した。

・厳密には、「飛んでTSUBASA!」本予告 と「Fluxa」予告 の間に、福岡市で開催された「大チャリチャリ展」で流すための「チャリチャリあるある」が会話化されたものを読み上げる仕事、というのがあった。abelestさん経由で受けたものです。私の住む地域にチャリチャリはない!80個くらいのシチュエーションを、人物によって声色を分けながら、私の知らないチャリチャリユーザーたちの思いを想像しながら録音しまくりました。それがあったことでかなり、人に聞かれる前提でセリフを録音するという行為に慣れました。


⚫︎M1 「飛んでTSUBASA!」本予告

・担当したセリフの役は、って書き出そうと思ったのですが、全員でした。この曲は全員私でした。

・成り立ちがめちゃくちゃなので細部に触れることを忘れがちですが、ドラムをとても気に入っています。ずっと鳴っているコードの音も好きです。

・私が、デモ段階の自分のパートのマスターにファズをかけていたということを話して、そういうパートがあってもいいかもという流れになりなんやかんやしたら、abelestさんの歪み爆音パートができあがっていました。今思うと、謎の着地です。

・「きれーい!本当に飛んでるんだ〜そりゃあ感動するよ!」のくだりと、いちばん最後の「高いなー!」に始まるセリフ郡は私が書いたものですが、私は一度も飛行機に乗ったことがないので、すべて勘というか、願望です。空港のホームページや、旅客機の窓から海面と陸地を見下げる画像を検索しましたが、窓際の席でなければそもそもないものだということにさえ途中まで気づいていませんでした。私は未経験の事柄、もっと言えば未経験であることそのものを過度にドラマチックに捉える傾向があり、それは人生のいくつかの場面で私を落胆させてきたが、今回は多少役に立ちました。


⚫︎M2 「Fluxa」予告

・担当したセリフの役は、「楓」さんと、「AI-2」です。

・"AI-2"の喋り方には悩みました。はじめは、人間(楓さん)との違いを出すために、もっと昔のAI、もしくはボーカロイド__これも「昔の」という注釈がいる__に近いような、平坦かつ、呼吸を感じない、吐いたそばから吸っているような発語をしていましたが、実は最近のAIはもう全然そんな喋り方をしていないという事実と、ロボ的喋りをしたい!という気持ちの間で葛藤しました。結果的に、最近のAIを真似ることになりました。最近のAIの声は、私は主にCMで耳にしますが、息遣いがあってすごいですよね。でもずっと流暢だったのに突如として標準的でないイントネーションが挟まったり、表情があるのに抑揚の天井が見えたりして、そのアンバランスさが面白く、なるべく再現しようと努めました。

・作業の終わり頃に思いついて、最後のセクションに荒い呼吸と泣き声を追加したのですが、録音中悲しい声を出していると、本当にすごく悲しくなってしまい悲しかったです。それが追加されるだけでかなり曲も悲しい感じになり、ちょっと引きました。

・ちなみに私はChatGPTとかその類のものを使ったことがありません。やりとりのスクリーンショットを見せてもらったこととかはありますが、なので正直、「AIとチャットしたときあるある」の実感は特にありません。その代わり今回はAI側になれて(?)面白かったです。


⚫︎M3 「劇場版 チーキーズ・ミリオネア 水族館篇」特報映像

・担当したセリフの役は、ナレ1、主人公二人、敵キャラ三人です。

・この曲のメロディとその歌詞は、ここ最近でいちばんうまく書けたなと思うくらい気に入っています。abelestさんのパートもめちゃくちゃすごい!もし仮にセリフがなかったとしても入り乱れている曲ですよね。

・1:16-1:19がめっちゃ好きです。

・2サビに登場する敵キャラはぼんやりとしたイメージで私がセリフを書きました。「このわたくしに勝てば〜」の人のことは、「抽選券お嬢様」と呼んでいます。

 

(短編小説)そこで目が合う

※YouTubeにアップロードした「そこで目が合う」というインストゥルメンタルのオーディオビジュアライザーのために書いた小説。

※ 出来事・人物の描写は事実に基づきません。

 

「君、雪見たことないだろ」
 M田は紙を捲り始めて五分も経たないうちに顔を上げて、そう言った。
「いや、見たことは、あるけど」
 僕は実のところM田の言いたいことをわかっていた。だからこの返事が反論にならないこともわかっていた。
 プリンターが吐き出したばかりのコピー用紙、角を一つ留めただけのそれは、M田の膝の上で五十枚程度重なっている。特殊な技能を身につけていないであろうM田がこの数分で読めたのは、束になったうちのせいぜい三、四枚のはずだった。口をついて出てしまうのも仕方ない。まだぜんぜん読んでいないだろ、という本旨をすんでのところで避けて掴んだ、あいまいな打ち消しの言葉くらいは。
「さすがに見たことはあるか」
「……」
 「うーん」M田は小さく唸って、再び手元に目をやった。アニメーションでも作っているみたいに、用紙の一枚目を捲って、戻して、捲って、戻している。こと読書においてはあまり意味のなさそうな動作だが、口を挟むのが早すぎるのではという僕の不満を見透かして、文節を拾い直しているのだろうか。はたしてそれは熟読のポーズになりうるのか。「なんか嘘っぽいんだよな」そしてさらっと、辛いことを言う。
 僕は眼鏡を外してくわーっと伸びをした。その拍子に、椅子のキャスターが背後に向かってちょっと回る。真新しく照る蛍光灯を見つめて思う。たしかに読んでくれと言ったのは僕だ。何を指摘されても動じず真摯に検討する覚悟を持っていた。でもさすがに今回は、最初に突っ込むのがそこか、早すぎるし、と思った。M田も、膝の上はそのままに姿勢を寛げた。
「傷ついた?」
「いや別に。恥ずかしい気持ちにはなってるけど、ちょっとね。いや、けど、おおむね、まあそうか、って。わかるんだなあって。ほとんど見たことないもん、ほんとの雪」
 僕がなんでもない風に白状したのをもちろん聞き逃さなかった。くっと笑って僕に歯列を見せる。
「Y田の思ってるほど、雪ってそんなに、いいもんじゃない」
 本当はね。と付け足すと、真顔になって、M田は続きを読み始めた。僕は、M田がまた紙束に向かって猫背になるのを見届けた。それからなんとなく空模様を確認した。十二月の二十二日、曇り。雪が降ってもおかしくはない季節に天候だが、ここには降らない。窓の向こうに広がる曇天は難渋な眺めで、室内の彩度まで下げている。そんなありふれた沈鬱にも降雪というアクセントが加われば途端に向きが変わると、雪とはそういうものだと、僕は簡単に考えていたが、M田に言わせれば違うらしい。M田が幼少期を過ごした地域では、降雪が日常的だったのだろうか。それか、聞いた話なのだろうか。たしかに、降雪までもがありふれた存在であったなら、きれいな雪も汚い雪も見慣れて、アクセントにならないどころか、特別な用がない限り、危険で邪魔なだけのわざわいなのだろうか。
「ロマンチックなのが悪いとは言ってないよ」
 紙面に目を落としたままM田が言った。
「……喋りながら読めるの?」
「同時には読めないよ」
「じゃあ今は読んでないんだね」
「読んでない」
「ならこっち見て喋ってよ」
「そんな言い方されたら見れないだろ」
「はは。まあ、読んでもらってるんだからこんなこと言うのもあれか。すみません。続けてください」
「おうとも」
「お願いしまあす」
「ねえ一個だけ、あのさ、嘘っぽいってのはあれね、読み物として問題というわけではなく、Y田の心の中の雪が、人工雪っぽいってことだよ」
「お前……」
 こっちを見たと思ったら、また痛いことを言う。
「まあだからとにかく、思いついたから直接聞いてみたってだけ」
「僕はクイズじゃないけどね……」
 M田は「別に直しなさいってんじゃないから」と加えた。変な気遣いを見せたわけではないとわかった。単に僕の書いたものに対して、また僕に対して、気づいたことがあって、気づいたタイミングで口に出しただけだろう。それがM田との交際の経験に裏付けられた僕の解釈だった。M田については、そんな結論だ。しかし本物の雪については、本当に、僕には経験がなかった。僕の中にあるもやっとした雪景色は、雪景色なのだからもやっとしていて当たり前だと思っていたけれど、僕の知識によっていたのか。
 そして、クイズじゃないとも言い切れなかった。僕にそのつもりがなくとも、僕は書き手で、それを読むのが僕以外の読み手である以上は、僕がクイズをつくらなくても、回答は届くものだった。M田は僕の文章から、僕が雪を見たことがないと見抜いた。読んでもらっている立場の僕にとって、それは悪いことではなく、むしろM田は真摯な読者だ。
 M田は続けて三、四枚を読み進めていた。さっきはもっと先を読んでくれと思ったが、今はさっきほどには思わない。
 雪。白い。降る。しんしんと。積もる。高く。沈む。深く。足跡。反射。銀世界。何を書いたか、記憶が曖昧になってくる。僕はたいてい順番に書いていくから、冒頭は特に何度も読み返したはずだった。
 特別にロマンティックにしたつもりはなかった。というより、僕にとっては小説を書く行為がロマンなのであって、ロマンティックに描くのが小説だとは考えていなかったから、まして雪をロマンティシズム越しに書いているつもりがなかった。少なくともこの僕の意識下では。
 M田はもうページを遡ることはなく、順調に読み進めているようだった。この距離ではうまく数えられないくらいのページが捲り返されている。
 M田に原稿を読んでもらうのはいつものことで、僕はその時間をいつもそわそわして過ごしてきた。その逆はなかった。M田の書いた何かを読まされることはない。以前の僕は、みんな何かしらの書き物をしたためているのがふつうで、それを明かしているか秘めているかの違いだと思い込んでいた。けれどM田はメールや、メッセージのやりとりや、必要書類など以外の文書は、何も書かないらしかった。
 深い関係になったと感じた相手はM田がはじめてだったから、僕はM田ならばと思って、小説の原稿を見せるようになった。それから、M田はいつ見せてくれるのかなと思っていた。五篇目くらいで、ついに聞いた。M田はそんなものはないと言った。僕は、もちろん小説じゃなくても随筆でも評論でもなんでもいいんだと言ったが、M田は何も書いていないと言った。僕ははっとして、ただ君の書いたものを読んでみたかっただけだと弁解した。いつか読めたら嬉しいけどと諦め悪く付け足したら、M田は、君に見せることそれ自体は苦ではないと思うけど、今は見せるものがない、書くようなことが思いついたらいつか、などと答えたが、それは今日まで実現していない。今日僕がM田に見せたものは九篇目だった。聞いてすぐの頃は少し期待していたが、今は、M田はたぶん書かないんだろうなと思っている。ふつうに。それがM田のふつうなだけだ。
 雪。白い。降る。しんしんと。積もる。高く。沈む。深く。足跡。反射。銀世界。吹雪。視界が悪い。斜面。滑る。雪だるま。雪の結晶。雪遊び。雪玉。を、ぶつかる。ぶつける。冷たい。
 M田のやや伏せられた横顔を見たら、口の端がうっすらと笑んでいた。素直に嬉しくなる。M田が今どのシーンを読んでいるかは定かでないが、誰に見せているわけでもないその相貌を僕の書いたものによって綻ばせていることは嬉しい。今度はやっぱり先を読んでくれてよかったと思った。それでも僕が雪を見たことのない事実は、もうはっきりしてしまったことだった。読んでもらう前がいちばんわくわくしていて、読まれるとそわそわ緊張して、読み終わられると感想のいかんに関わらず僕の創作が完結してしまったという虚無感を抱くのが常だったが、今回はその手の後悔とは種類が違うのだった。
 読み終える瞬間を見ていられないという潜在的な考えのもと、洗面所で丁寧に手を洗って、丁寧に歯を磨いて、また丁寧に手を洗った。部屋に帰ってきたら、M田は椅子の上で膝を立てていた。原稿をiPhoneに持ち替えている。原稿は机の上だった。目が合う。
「ああ、おかえり」
「ただいま」
「人工雪にも色々あるみたいだよ。人工降雪機と、人工造雪機ってのがあって、降雪機は、寒いときに、外で空気と水を噴射して、空気中で氷になるって。だからそれは、本当に寒くないとだめってことだよね。けど造雪機は機械の中で氷を造ってから、外に出すって。あ、読んだよ最後まで」
 読み終わったのかと僕が聞く前に、M田が言った。ページは閉じられて、一ページ目が天井に向けられていたから、きっとそうなんだろうと思っていたが、調べ物までしているとは思わなかった。
「ああ、ありがとう。えっと、造雪機」
「造る、雪、機、の造雪機ね。降雪機は降る、雪、機」
「ああ。降雪機が噴射するほうね」
「そう」
「なるほど。じゃあ降雪機のほうが、より本物に近いってことだ」
「より本物に近いって、変だな」
「はは、いやたしかにそうだ」
 でも、小説はもとから偽物だよ。もっと言ったら、何か思うことが偽物だろ。雪を見て本物とか偽物とか思うその考え自体が、本物の雪を頭の中で複製した偽物なんだから。文章なんていくらでも嘘つけるわけで。みたいなことをつい言いそうになったが、言うと原稿の感想をもらえなくなる気がした。あるいはもっと気軽に言ってもらえるようになるのかもしれなかったが、確率は五分に思えたのでやめた。普段通りであれば読み終わったらその場でぽつぽつと勝手に話し始めてくれるので、その流れをこちらから壊す必要はないはずだった。
「あ、本ですけど」
「うん」
 やっぱり、変なこと言わなくてよかった。
「あそこがよかったよ、ねんど食べちゃうところ」
「ああ、ありがとう」
「美味しいってのが最高だった。うめえのかよ、と思いました。あと、あれも。あの、天秤に乗せていって」
「ああ雑貨屋さんのところ」
「そう。ふたりで交互に乗せて、釣り合ってて、乗せて、釣り合って釣り合って、最後急にガンって、お前の書くああいうの、なんていうの、舞台演劇っぽくていいよね」
「なるほどたしかに、演劇、そうかもね。ありがとう」
「あと、そうだおっきいのがあったな。毎日夢と行ったり来たりする構成さ、読んでて楽しいよ」
「わかりづらくなかった?」
「うーん、ぱっと見でわからなくても、まあそのあと絶対に目覚める描写があるわけだから、そのときには、ああ夢だったのねって気づくでしょ?そういうのが夢っぽくていいんじゃないかと思ったよ」
「そうか、そうなってれば、理想的だ。ありがとう」
「あとあれも。なんだ、ええと。ちょっと待ってね。……あ、これです。"一人がもう一人のワンピースの肩に手を乗せて、指差すと、二人は同調の動きをしながら、客席の向こうの、ない景色を見る。それに"女性的"な感想を言う。"」
「ああ、そこは僕も、わりと好きなんだ」
「そうだと思ったよ。すごく意図を感じるし。いやまあ、書いてるほうはどこもぜんぶ意図的に書いてるんだろうけどさ」
「うん、まあそういうことになるのかな……」
「小説ってのは、ぜんぶ書いてるんだもんなあ」
「うん……」
「歯切れ悪いね」
「うん……」
「雪か」
「はい……」
「あはは。思ったより、けっこう、雪の話だったね?」
「そうなんですよね」
「人工雪について検索しちゃったもんね?」
「させちゃったみたいだね」
「雪に火ぃつけようとするところとかよかったけど」
「うん、ありがとう……」
「燃えてる雪が見たいって」
「うん……」
「じゃあ見に行こうか?」
「え?」
「俺も行きたいな。見に行って、燃やしたら水になってまた凍るだけだって、知ればいいんだろ。本物の雪を見たらどんな気持ちになるのか知った上で、どうするか考えればいい。もちろん、本当に何十年と住んでる人には敵わないだろうけど、ほら、取材しよう?それでも今のままがいいって言うなら、そのままでいいんだよ。気になるところが出れば、書き直せばいいじゃん」
「そりゃ、そうしたらこの、今のもやもやしてるのは打開できるだろうけど、お前に着いてきてもらうってのは….」
「だって俺が変なこと言っちゃったんだもん」
「そんなことは」
「本当は、本当に、直す必要ないと思ってるよ。ほんとに。けどもう、そういうことじゃないんでしょ?」
「そういうことじゃない」
「違うかもって不安なら、違くないってわかればいいんだから」
「まあそれは、たしかにそうなんだけど」
「だったら行こう。友だちと旅行だと思えばいいんだから」

 観光目的の人たち、移住を検討する人たちに混じって、雪国体験のツアーに参加した。
 ツアー参加者や地域の人たちに、M田は僕のことを、文学を勉強している学生で、積雪の風土を下敷きにプラクティカルな中編フィクションを書かねばならない、などとちょっと大袈裟に風聴した。本当は、僕の小説は趣味と夢であって、学校での専攻はまた別だったが、単位の懸かった勉強のためだと思わせるほうが協力を賜われると考えてのことだろう。僕もそれとなく合わせて会話した。誇張して言うのなら環境科学とかのほうがもっといいんじゃないかと思ったが、僕自身が、ちっとも本当のない嘘はつけないなと思い直す。嘘を書くのはできても、嘘を言うのは苦手だ。
 僕たちの目的が何であれ、ツアー自体は二日間雪との睨めっこを続けるわけではない。僕は雪かきの講習以外の時間、郷土料理を食べているときも博物館にいるときも囲炉裏を囲んでいるときもどうも窓の外に注意がいったり、他所ごとにとらわれたりした。他所ごとというのはもちろん雪のことだった。窓の外にはいつも雪が積もっていて、今まさに降っているというときもあった。移住者が経験談を語る会ではメモしながら熱心に聞いたが、移住者を増やす目的もあるはずのこのツアーで、あまり希望をへし折るようなことは言わないはずだった。「大変だけど」という逆接が、それなりに意味深長に思えた。とはいえ、毎朝目が覚めると外に出られなくなっているのが何ヶ月も続くなどという環境は、頭に浮かべただけで、いや、浮かべてもぴんと来ない。
 実際に雪と触れ合ったのは二日目の朝だった。
 毎日の雪かきは気温が低く雪の新しい早朝のうちにするのが一般的、というか、そうしなければ家から出られないそうだが、僕たちは午前9時に召集された。僕とM田はウィンドブレーカーに、園芸用に撥水加工のされたパンツを履いて、手袋をつけ、長靴を履いて集合場所へ向かった。M田と一緒に相談して買い揃えたものだった。着込みすぎもよくないということでさほど重装備でないものの、足が重く、身軽とも言い難い。不慣れな雪の上を歩くのだから、仮にどんなに軽装であっても、そもそも身軽なはずはない。日差しが雪の上を跳ねて角膜にこつんとぶつかると、これはとうとうだと感じる。やたら天気がいい。
 集合場所で準備体操をしてから、僕は赤いダンプ__という呼び名すらも昨日の講習ではじめて知ったが__を授かった。あらためて説明を聞き、作業をはじめる。
 積もったばかりの柔らかい雪をダンプで運ぶ。クレーンゲームもこんなにごっそり取れたらいいのに。ゲームセンターの猥雑な極彩色が頭に浮かんで、目の前の白さに笑ってしまう。でもその二つが遠いわけではなかった。あまりに白いのも、色が多いという感じがした。
 かちかちに締まった雪には文字通りまるで歯が立たないので、スコップなどを持っている人に任せる。排水溝の周りを片付け、人や雪の通り道を作り、それぞれの置き場へまとめる。
 M田は、昔から今までずっと水泳を続けていて基礎体力があるからか、体を操るのが上手いからか、力の抜き方を知っているからか、とにかく何か慣れた感じを思わせた。人との交流も上手い。声を掛け合いながら、相手と同調しながら、コツを掴んでいるようだった。いや、違うかもしれない。ふつうに、やったことがあるからかもしれない。
 生真面目な雪未経験の文学部生という設定の僕はぼちぼち几帳面に働くことを心がけた。住民に声を掛けられたら応えつつ、逆に取材もさせてもらった。
 やはり、よそ者の僕に向かってそれほど明け透けに喧伝するわけではなかったが、個人の経験談や一般論として、世知辛いことも教えてくれた。健康上の不便や怪我の危険性に加え、近隣住民とのあれこれ、民法や道路交通法上のさまざま。頭に浮かべただけで、いややっぱり浮かべてもぴんと来ないのだが、それでも、空から降ってきた無主物に頭も体も悩ませるなんてなあと、穴を見つめるような気持ちになる。国や自治体がもっといろいろ、なんとかしてくれますように。少なくとも投票の時期くらいは選んでくれますように。僕の顔が曇っていたのか、雪かき大好きな人もいるよとフォローを受けた。たしかにさっき話を聞いた人はそう言っていた。でも加齢とともに辛くなってきたとも。大変なのは僕じゃないのに、気を使わせてすまない気持ちになる。
 M田は小回りのきく角スコップを手に歩き回り、すれ違うと「ウェイ」とか「どうだ」とか声をかけてくれた。どうだと問うのは、もちろん体調や気分のこともそうだろうけれど、主には積雪と人生観についてだろう。僕は半ば投げやりに、手袋に覆われた歪なサムズアップを見せたり、「グッドです」と言ったりした。
 空が明るくなってきて、呼びかけにより少しずつ人が減っていく。集合場所になっていた施設に戻ったのだろう。実生活の雪かきの方法や継続時間は目的によるらしい。毎日の早朝に行うものは、出勤など外出のために通り道を確保する目的で家の人間が、除雪機がかき分けた雪など、家の周りをだいたい一時間程度。しかし最低限以上の部分も、放置してはおけない。屋根から雪を下ろしてかたづけてといった大掛かりな作業は必ず大人数で、そして幾日もかかるそうだ。機械があればそれなりに時間短縮できる作業もあるらしかったが、買って失敗したらどうするんだろうと、とてつもない不安に駆られた。勝手に。
 今日の僕たちはあくまで素人のお客さんだから、ぼちぼち疲れた人は終了してくださいという流れだった。倒れでもしたらそちらの方が迷惑をかける。体力が余っていれば雪遊びでもして、体を休めて、そのあと温泉に入りましょうとのことだった。疲れはあるが、ぜひとも遊んでいきたい。僕が書いたのは雪かきに勤しむ勤勉な住民でなく、呑気に雪遊びをする何も知らない観光客の側だった。僕がそうだからだ。
 雪を観察していた僕の長靴の足に、かたく締まった雪が吹っ飛んできて、顔を上げると、小学生くらいの子供が挑戦的な眼差しで僕を見ていた。子供は屈んで手際よく雪を固め、僕にぶつける。僕も立ち上がり、粉状の雪を両手でぱーっと撒くように投げると、本気を出せと叱られた。なるほど。とはいえ何か起こしてしまうとまずい。じゃあ雪の固め方教えてと言ってみた。彼は、あんまり固く握ると先生に怒られるんだけど、俺は無視してる。と言った。
 彼と一緒に雪面へしゃがんで本気の雪玉を握っていると、M田がやってきて、飲み物もらった?とペットボトルを掲げた。雪かき中の水分補給はしていたが、常に寒いので、何か飲みたかった。あたたかい緑茶と白湯を見て、彼は小さな手袋の指で白湯を指した。えっと声が出そうになったがまったくふつうのことみたいにごくごく飲むので、最近の小学生のことはわからない。彼が特別に、緑茶がだめだったりするのか。
 僕は緑茶のペットボトルを額にくっつけた。あったけえ。それから思い立って、一時的に放られていた、彼の握った大きな雪玉に、僕の握った小さめの雪玉を、上からぐっと押しつけた。言いつけを無視しているだけあって、土台はぎっしり詰まって頑強だった。彼が「ああっ」と声を出す。「雪だるまだ。かわいいね」M田が言うと、「かわいくても意味ないんだよ。勝てないと」と僕たち二人に喝を入れてきた。少しぎょっとして、「それ誰に教わったの?」僕が尋ねると、彼は「持論」とだけ言って、雪だるまに成り果てたのとは別に新しく勝てる雪玉を握りはじめた。M田が鷹揚な笑い声を立てている。やっぱり最近の小学生のことはよくわからない。

 書き直せるところもあるだろうと感じていた。雪の中とは何もかも対極の湯船の中で、考えを整理する。
 実際的な描写、たとえば雪を踏みしめたとき脚全体に伝わる感触とか、ひんやりした空気の匂いとか、渇いた喉の突っ張り、一面の雪と点在する建造物の不思議な共存の未知、そういうものは、より精緻に書けるだろう。しかしそれは小説全体にとっての大きな変更とはならないだろう。無自覚な僕の根本にあるらしい雪への憧憬を覆すわけではないように思えたし、むしろ強化するようにさえ思える。だからつまり、僕はもっとロマンティックに書いてしまうのかもしれなかった。知り合ったばかりの子供と一緒に雪玉を握るのは、M田と、子供と、雪玉を投げつけあった時間は、たしかにロマンティックだったじゃないか。
 客人としてもてなされたゆえに至った軽薄な結論という自覚はある。住んでいる人の気持ちはまったく想像できなかった。
 ずっとここに住んでいたら、もう半分当たり前のことなのだろうか。雪のない冬の方が想像がつかなかったりするのだろうか。それとも、できるものなら移住したかったりするのだろうか。住民が苦労しなくてもよくなるような画期的な、何かはわからないが、そんな何かができればな、とは思うけれど。でも僕が書いたのは僕のような立場の人間であって、僕のように雪を知らない人間なのだから、僕のような感想を持つのはきっと当然で……。濡れた岩に頭の後ろをつけると、頭皮がひんやり引き締まった。仰向けで目を閉じる。空気があたたかい。温泉の匂い。水蒸気で呼吸がしづらいと、それをあたたかいと思う。
 同じツアー参加者やスタッフをしていた地域の人たち、ツアーとは無関係な観光客なども同じ湯に浸かっていた。これまでだったら、いくら温泉といっても公衆浴場で気分が休まることはなかったが、こうしてゆっくり息を吸って吐いていると、いつになく温泉らしい保養を実践できていることに気づく。やはり不慣れな雪上で過ごすことにそれなりに疲れたらしかった。
 M田に小声で話しかける。一応、関係者もいるし、そうでなくても閉じられた公共の場だし、と思って心がけたが、音が反響する風呂の中では、自分がどのくらいの声を出しているのか、いまいち判然としなかった。
「M田はどう思った?雪について」
「スノボ行きたくなった。次はスノボ行こう、近いうちに」
「ああ……それもいいね」
「またこれに来るのもいいよ、楽しいし、あと雪かき用の服を買っちゃったからね」
「はは。M田ならボランティアとかもできそうだよ」
「それもありかも。あとY田が、あんな感じで子供と遊んでるのも、ちょっと面白かった」
「ああ。たしかに僕も自分で、ちょっと意外だったけど……子供ってすごくフラットに来るから、こっちもフラットで行くしか選択肢がなくて、それってちょっと楽なんだよな」
「そんなこと考えてたの」
「考えてた、というか、今思ったら、そういう感じ、かな、と……」
 言い終えるとあくびが出た。眠たくなってきたので、目を閉じていると危ない気がして、天井を見る。このあとご飯を食べる元気はあるだろうか。ツアーの最後の食事なので、張り切ったものが出そうな気がする。まだ浸かっていたい。でも眠い。視力を意識的に使ってみる。
 そういえば、温泉の天井をまじまじ見たことはない。せっかくだから見ておく。細長い木の板を合わせたものだ。箇所ごとに色が違うので、木の種類が違うのか、別々の加工がされているのか、その組み合わせで天井の形を作っている。木目に加え、経年と湿気の多い環境で変色してできたと思われる濃い模様が、板一枚一枚の切れ目にじわっと広がっていた。__これも何かに書けるのだろうか。
「そういえば、雪燃やせなかったね」
「ああ。言い出せないだろ、さすがに」
「何か企んでると思われちゃうもんな」
「うん。怪しいよ僕文学部だし」
「文学部関係ないだろ」
「いや、理系だったらなんかそういうの必要なこともあるかもと思って」
「実験?はは、ぼんやりしてるなあ。すごく舐めてるだろ」
「すみません。文系は事実だから……」
「あーあ。一応、雪燃やそうって宣言して来たのになあ」
「はは。まあ、たしかにそうだけど」
「ちょっと消化不良だなあ」
「でもなんか、これでよかった気が」
 M田が僕を見る。それは僕がM田を見たから気づいたのだった。
「そう思えたなら、それはそれで、来てよかったんじゃない?」
 M田が晴らした顔で、僕に言った。今僕は、全然、本物の雪なんか見たかったわけじゃないと気づいてしまった。見ても僕の心は変わらなかった。M田が書いてくれればよかったのだ。
 雪のことをどう思っているのか。僕の書く雪が夢見がちなら、M田の書く雪はどんななのか。雪のどんな部分を光らせるのか、陰らせるのか。かたいのか、柔いのか。白いのか、青いのか、銀なのか、また別なのか。そこで人は雪とどう関係するのか。それとも動物なのか、生物は出てこないのか。植物なのか。雪はそんなに良いものじゃないと言うなら、書いて見せてほしかった。
 読点をつけるとき、位置はどこで、何文節に何回くらいなのか。鉤括弧内末尾には句点を打つか。どんなふうに人を喋らせるのか。ら行の省略はするか。漢字とカタカナとひらがなの配分はどのくらいか。直喩が多いのか、暗喩が多いのか。状況にスポットを当てるのか、行動を追っていくのか。ずっと僕はM田がどんな文章を書くのか知りたくて、でも書かないなんて、それはどういうことなんだろうかと、そんなわけないと思っていた。僕に読ませたくないなら、悔しいけれどしょうがない。でもそういうわけではなくて、書かないから読ませられないって、ないから見せられないって、どういうことなんだろう。意味がよくわからない。いや、本当はわかっている。書く必要なんかない。僕だって必要があって書いたことなんかない。でも、書かないって、書けばあるはずなのにないって、どういうことなんだろう。僕はM田の書いたものを読みたいのに、どうして読めないんだろう。
 プリンターが吐き出したばかりのコピー用紙、角を一つ留めただけの原稿に、雪に火をつける描写はなかった。そうしてみたいと願望するまでだった。僕は温泉を出てご飯をもりもり食べて、地域の人たちに見送られながらちょっと感動的な感じで雪の町を出て、乗り継いで乗り継いで自分の部屋に着くと、荷物をぜんぶ玄関に置いたまま、ローテーブルにノートパソコンを開いて、雪を燃やすところを書いた。
 "雪は燃えた。雪以外のものにはならずに、雪のまま燃えた。火はそこに雪があるためによく燃えた。松田さんの虹彩が赤く光るのが見える。私のもそうなっていることだろうと思う。ほんの数時間前に出会った人と同じものを見つめて、目の色を同じにしていることは心底不思議だった。雪が燃えている。雪は外にあったときとはまた雰囲気が違って、固有名詞のようだった。でも、雪のままでもあった。雪はあたたかく揺れた。私たちは目の奥を揺らして、明日はどこに行くか話し合った。明後日はどうするかも話し合った。その次の日のことも。その次の日のことも、その次も。雪は燃えてなくなった。雪のまま燃えてなくなった。なくなった雪を外に捨てた。外は雪だった。"
 それは中盤のワンシーンだから、クライマックスでもなんでもなく、ただの寄り道に過ぎなかった。明後日、M田に会って、これを見せたら、僕の気まずい思いなんか関係なく、やっぱり気持ちは変わらなかったんだねと言って笑って受け入れてくれるだけだろう。
 昨日と今日の二日間、とても楽しかった。友だちとの良い旅行だった。だからきっと僕たちはスノーボードにも行くだろう。

2025/men

 今年に新しくはじめたことといえば、まず第一に超通信が思い浮かぶ。「諭吉・皐月の超通信」。なんとPodcast番組をはじめることになった。奥森皐月さんにやりませんかと誘われ、それがどんなことなのかまったく想像できていなかったものの、番組のタイトルからビジュアルから、俺個人としては音楽もつくったり、とにかく本当にPodcast番組をはじめることにして、実際にはじまったのであった。

 生活が少し変わる。それまで家のメンバー以外とはほぼ話さなかったのが、今は定期的にオンラインで皐月ちゃんと話す機会がつくられる。録音前提の集まりではあるが、録音を止めている間に話し込むこともある。番組であるとして広く配信している以上、録音中のお喋りを"仕事じゃない"と断言するのもそれはそれでどうかと思う(編集も聞きやすいように頑張っているし)のだが、趣味を兼ねた仕事であるとは言える。

 毎回変わらずにすることは、お喋りを録音することと、それを編集することだ。お喋りが楽しいのは楽しそうに喋っているのを聞いてもらえれば当然わかるとして、編集も楽しい。これはちょっと音楽に似ている。たまたまに、喋りのリズムが、BGMのリズムと奇妙な合致を見せたりする。そういうのが面白い。また、会話の内容や展開に合わせて新たなジングルを作ることができる。勝手に作って出せる、普段の制作にはないスピード感、そして「必要だから作る」といういちばんシンプルでぴったりと収まる、気持ちのいい行為。

 皐月さんのたしかなお喋り力や豊かな経験と、俺の音の編集や制作に多少慣れているという点(?)がうまく合致して(?)いると思われ(?)、この先も続けてゆきたい所存。自分もやっていて楽しいし、聞く人にとっても面白くかつ、安心して聞けるものにしたい。

 とはいえ超通信の冒頭でも言われている「ミュージシャン」とは音楽を作る人のことだ!俺はミュージシャン!

 今年は個人としてインストゥルメンタルアルバム「テーブルテニスのゲームのレフィル」をリリースすることができた。アルバムについては前回の記事に書いているので、音楽を気に入ってくれた人がいたら、読んでみてください。細々と長くどこかでは流れている、そんな音楽になってほしい。流してみてください。

 ライブ出演もしたし、コラボも楽曲提供もしました。それらは誘ってくれる人がいてできたことで、ありがたい。またそれを喜んでくれる人もいて、ありがたい。ありそうでなかった意外な出会いから、お馴染みの人とのセッションまで。

 年々、人生をどうしたらいいかわからなくなっているが、それもまた一興(何が)。


 今年も、出演したライブ、関わったリリース、その他の順に列挙していく。

 

◆ライブ

1.9

RAY × SITUASION presents
 「Past + New = Now」vol.2

  clubasia

 

3.7

 LAZY fellows

  渋谷La.mama

 

3.9

SECOND ROYAL presents
 幽体コミュニケーションズ「巡礼する季語」LP RELEASE PARTY

  京都METRO

 

3.16

JYOCHO presents

 超情緒大陸

  新宿LOFT

 

4.30

月見ル君想フ presents
  AXXXXE

  青山 月見ル君想フ

 

5.10

 視聴覚 (光学&諭吉佳作/menとして)

  WALL&WALL

6.8

PM×Oaiko pre.

 kizuku

  新宿MARZ

 

6.28

Milk Talk Summer Tour ‘25
 「MIDTOWN BABY」

  渋谷7th FLOOR

 

8.31

 OPEN DOOR by Thir(s)ty One

  渋谷 WWW

 

9.16

ロマンチック中毒 presents
  ROMANTIC PARTY vol.2 

  UNDER DEER Lounge

 

12.7

Maltine Records 20th Anniversary 20 Hour Event

 CITY (DAY)

  Spotify O-EAST

 

◆リリース

2.13

diig - toy

 作曲・編曲

 

3.8

幽体コミュニケーションズ - 光の波間で息継ぎして (ウ山あまね × 諭吉佳作/menRemix)

 歌唱

 

3.15

根本凪 - 中古†天使†@nti工モ feat.ミドルエステート

 作詞・作曲・編曲・共同歌唱

 

3.19

光学 - Opto6:諭吉佳作/men

 歌唱

 

4.23

FUJI - 不揃いの祈りたち

 コーラス

 

8.1

春ねむり - ekkolaptómenos

 M3.5.7.9.10.11 コーラス

 

8.13

diig - do re mi

 作曲・編曲

 

10.22

諭吉佳作/men - テーブルテニスのゲームのレフィル

 すべて

 

11.21

Maltine Records 20th Compilation「CITY」

M13 abelest & 諭吉佳作/men - ホエイ

 共同 作詞・作曲・編曲・歌唱

 

12.26

夕凪潮 - 停泊ステップ

 作詞・作曲・編曲

 

◆その他

4.4〜

J-WAVE 「INNOVATION WORLD」OP/ED制作

 作曲・編曲

 

8.16〜

Podcast「諭吉・皐月の超通信」開始

 

2026(変な数字)年もよろしく頼みます。

2025バーイ

テーブルテニスのゲームのレフィルについての覚書

テーブルテニスのゲームのレフィルについての覚書

 

『テーブルテニスのゲームのレフィル』

16曲、47分

すべて : 諭吉佳作/men

f:id:ykcksk_men:20251228194223p:image

 

 テーブルテニスのゲームのレフィルに言及しているメディア

●BRUTUS 歌う身体からそっと距離を置いて。諭吉佳作/menが、初のインストアルバムで出会った新しい自分

●Podcast番組『諭吉・皐月の超通信』第12回

●BIG UP! zine:Pick Up Artist ちょっとだけ現実から浮遊する、諭吉佳作/menの創作


アルバムについて

 タイトル:わざわざ机を立てて、ラケットを介して球を打つ行為の、間接、それをさらにゲームの中でやる、電子、身体、間接、そしてその代替、間接。模造品、食品サンプル。また、口に出した時にリズムに乗らないことが不可能、他者の中に勝手にリズムを作る。

 家の中で流れている音楽。流すというより、元々流れている、誰が作ったとも思わないもの。でも俺の癖がそのまま記録されている。流れていると、ただ綺麗に歩けるきっかけになるようなもの。普通に歩くと、綺麗に歩いて見えるもの。日常の存在をぶれさせるもの。


制作について

 インストゥルメンタルを作ることは従来の俺にとって馴染みのないことだった。しかし今年の夏頃にしたインストゥルメンタルの仕事(まだ公開されていない)が思いの外とても楽しく、インストにはインストの自由さがあり、案外それは俺にとって自然な種類のことなのだと気づいた。それからインストを作りはじめ、作りかけの曲や書き下ろした曲を合わせて、アルバムの形にまとめた。

 曲順は、"運転シリーズ"(俺ひとりでそう呼んでいる。末尾に「運転」とつくタイトルのもの。)によってほとんど自動的に決まったと言っていい。"運転シリーズ"はほぼ他の収録曲のサンプリングだけでできている。だからセオリー(とは?)通りなら、サンプリング元がひと通り流れた後でないと収録できないと感じていた。すると自然に、"運転シリーズ"3曲をばらばらに配置することは義務付けられ、それぞれのサンプリング元をそれ以前に並べていった。M.1「不注意を払う」だけはまあトランプのAのようなもので、ちょっと例外。


最近の制作について

 俺はずっと音源もプラグインもLogic純正しか持っていないのだが、そもそもプラグインで音を変化させようと思い立ったの自体がここ数年の話だ。以前は、もともと挿さっているやつのつまみを触るくらい。(MIX以降はエンジニアの方にお任せしていた。)オートメーションはもっと最近だ。リージョンを消したり移動させたり貼り付けたりするときにいちいち「オートメーションはどうすんのさ」と聞かれるのがどうしても煩わしく、かついつか重大なミスをしそうだったためだ。設定や音量に変化をつける必要が出たらトラック自体を分けることでしのいでいた。マスタートラックを表示すればそこにもオートメーションが使える(すべきかどうかは別として)ということを知ったのも、今年だった。

 もっと早くに色々と手を出していればと悔やまないではないが、それよりも、それでもまだ知らないこと、使っていない機能のほうが圧倒的に多いことにこそ慄く。もっというと俺はコマンドをキーボードで入力する以外のすべてを、トラックパッドで入力している。もう6年そうしている。トラックパッドはとても便利だ!iPhone時代の名残なのかもしれない。

 関連して特筆すべきは、今回の制作、というか最近、ほとんどすべての曲で、本来ならボーカルにかけるためのLogic純正プラグイン(ここまで書いてしまえばもうたぶん3つに絞られるのだが)を楽器にかけまくっている。そのプラグインが大好きだ。それがなかったら俺はいわゆる品質みたいなことにとらわれて、アルバムひいて楽曲を完成とさせられないだろう。

 たぶん俺は編曲の上で、やってはいけないとされていることをとにかくいっぱいやっていると思う。あえてやっていることもあれば、無意識にやっていることもあるだろうし、あえてなんですと言い張れる結果もあれば、普通に悪くしちゃっていることも、ぜんぜん、いっぱいあるだろう。

 


01 不注意を払う

 制作中は、楽器1と呼ばれていた。一番早くに曲としてまとまっていた。2025年1月27日にはすでにDAWの画面を映した動画をTwitter(X)へ投稿していて、その時点でほとんど完成と同じような状態になっている。(まあその映っている一部分が、というだけで他は確認できないのであるが。)アルバムを意識せずつくった曲のひとつ。だからとにかく楽に、好きに作った。使っている楽器も少ないし、俺の中に元々あったものがそのまま出ているようにも思う。中学生のときに作った曲などにも近いところがある。こういうリズムにはすごく馴染みがある。メロディの推移など、すごく好きだ。なんかよくできた、……というのは一般的にではなく俺の好きなようにという意味で、よくできたと思う。

 この曲に限らず、長い時間温めていた曲は、ようやくパッケージングしようとなると戸惑いがあり、題をつけるのにそこそこ困った。「不注意を払う」という言葉はこの曲のために思いついた題ではなく、元々俺の心にあり思い出したもので、それなりに大事にしたい言葉でもあったので、本当にこの曲がこの世にたったひとつの「不注意を払う」なのかという疑念について、俺が不注意を払った結果、偶然ついてしまったのかもしれない。

 この曲に出てくるクローズドリムの「カンッ…カンッ…カカンッ」という連なりから卓球のラリーを連想して、アルバムタイトルになったのではという説がある。


02 風雨に送迎

 楽器4と呼ばれていた。

 こちらも、一部分は、アルバム制作前から作られていた。そのときは、ワルツ的なものを作ってみたいと思い立って作りはじめた。アルバム制作が始まってから、続きを作っていった。"ワルツ的なもの"という慣れない前提の中でも、触っているうちに、やはりドラムは歪ませなければ(好み)と思いはじめたりする。また、元々あった展開(0:36-1:37の繰り返されるメロディ)は前置きなしには入ってこられないと感じたため、以降の展開のMIDIを切り貼りし、すぱすぱと途切れては再開するような後付けっぽい(というのは実際にそうだからで、聴感が誰にとってもそうなのかはわからない)幾何学的なメロディに仕立て上げ、また人間的若干のテンポチェンジに乗せて、前置きとした(0:00-0:36)。それは、後述するM.10「gym」や"運転シリーズ"での編集とは違い、オーディオファイルとして書き出さずMIDIのまま切り貼りした。そのため、すぱっと一部分を抜き取って再配置したとしても、リリースやリバーブなどの余韻はカットされず、単にそういう譜面として演奏される。風雨に送迎は、あくまで実演っぽさを意識している。ちなみにこの"ぽさ"は非常に大きい。俺は今作で使ったほとんどの楽器の実物を触ったことがないし、どんな機構を持っているのか知らない。

 しかし、(それをしたときにはこの曲はほぼ作り終わっていた気がするので、この曲の制作には特に生かされていないかもしれないが、)アルバム制作中、とある吹奏楽アレンジの曲の、パート練習用動画をYouTubeで見ていた。各パートのソロを耳で聴いて手でMIDIを打ち込むというのをやってみたのだ。楽器がたくさん鳴っているときにそれぞれのパートがどんなふうに別々の動きをしているのか、逆にどんなふうに同じラインをなぞっているのか、を知るということを、今になってはじめて実践したのだった。逆にいうとこれまでそういうのは一度もしたことがなかった。そっちのほうが変だとは思っている、自分でも。それで、その経験が、このアルバムの制作を含め、また以降の楽器の取り扱いに影響を与えていることは確実だが、結果変な癖をつけただけという可能性もある。でも面白いことにやはり、やる前と後では違っている。


03. machine (for you)

 楽器3と呼ばれていた。が、原型はこれがいちばん古い。どうやら2年以上前からある。が、原型も何もほとんどは繰り返される音なので、完成形も大きくは変わらず、やはりいちばん早く形になっていたと言っていいのか?

 この曲の元来の型みたいなものが、それだけですべてに思えて、余計なことをする気にはならず、トラックも展開も最低限となった。もともとはなかった要素として、途中ストリングスが入ってくるが、この曲においては彼らに音階を主張されると困るように思え、なるべくピッチ感は抑えめに、そういうのじゃない方向でいていただくというやり方になった。ストリングスに聞こえるのかどうかも怪しい。

 俺は結構長いこと打楽器でメロディ(音階)のトラックを作ることにハマっているが、その最初の曲かもしれない。いや、もっと前からやっていた気もする。この曲では主にベースの扱いで使っているものと、アクセントで使っているものとある。


04. 三面図の踊り

諭吉佳作/men - 三面図の踊り (Music Video)

 楽器2と呼ばれていた。こちらは、ストリングスのコードだけがそこそこ前からあった。そのときはエレクトロなものにするつもりはなかった。ストリングスと音色とその進行の通りに、100%荘厳な感じの音楽を作るつもりだったと思う。ただその発想のままだと進まなかった(置いておいていた)ので、当初の構想は捨て、ハイハットが細かく刻むはっきりした電子のビートに乗せてみたら、しっくりきた。それがなかったら確実に1:13からの展開もなかったはずなので、決断に満足している。1:21のメロディとその転調による展開を気に入っている。ピーピー鳴らすのも、癖(無意識、習慣という意味)のひとつだ。家電から合図の音が鳴ったかと思ったらこの曲だったと評判。

 ミュージックビデオも制作した。まず、とにかく人物の三面図を飽きるまで描いた。絵柄違いで8人描いたら飽きたので、自動車の絵を描いた。それもその1枚で飽きたので、今度は静物の写真を三方向から撮った。3種類撮ったら撮れるものがなくなったので、アルバムのアートワーク用に作った3DCGモデルを1個、三方向から書き出した。静物が増えたら人物が足りなくなった気がして、3DCGで4人作った。その中に自分の間抜けな写真を忍ばせることははじめから決めていたので、間抜けな感じで三方向から撮った。

 それらの画像を平面の3Dモデルにして、前面・背面(底面)・側面に分ける。前面を前に、背面をZ軸180度回転させ後ろにもしくは底面をX軸90度回転させ、側面をZ軸90度回転させる。計18個の半立体ができあがった!そしてそれらをペアにして向かい合うように配置し、オブジェクト同士の中心とその他の場所に軸を設定して個別のテンポでZ軸回転させる。するとフロアで自転と公転を繰り返すパーティが完成する。三面図の踊りというわけだ!

 本来三面図はキャラクターであれ工業製品であれ、自分の考えやデザインを他者に伝えるために用意するものだが、今回描いたものにはそんな用途は何もなく、ただ三面図になるために生まれてきたものたちだ。


05. 暗転と歩行

 楽器6と呼ばれていた。

 俺は案外、フリーランスにしてはかなり規則正しい生活をしていて、昼夜逆転などは一度もしたことがないのだが、この曲は夜(やはりこれもまだ常識的な時間帯)にテンションが上がって(常識的な範囲の)夜ふかしをして、楽しい曲ができつつある☺︎と思いながら眠り、起きてもまだこの曲が自分にとって楽しいものであったことがすごくうれしかったと覚えている。

 変な言い方だが、かなり好きな曲!この曲もシンプルな分、ほとんど癖(無意識、習慣という意味)と好みだけでできている。リズムの跳ね方や三連符へのなだらかな移行、電子的な音と弦楽器/金管楽器の取り合わせなど、とにかく癖が詰まっている。

 昨年だったかに、心あるトラックメイカーの先輩に教えられ、サイドチェインというものを知った。(おまえ本当に何も知らないんだなと思ってもらってまったく結構です。)俺は「あれって人力じゃなかったんだ」と言って、そのときすごく感心したのだが、この曲ではまあめちゃ普通に乱高下オートメーションを書いている。

 8月2日に"仮に、完全なループで、フレーズが一切変化しなくて、物理的に演奏されたものでもなく、一回目を打ち込んだらあとは労力なしだとしても、作るときの労力に関係なく、とにかく音楽が続いている間は聴いている自分の体も止めないでいられるということで、音楽が単に長いというのはいいことだなと"というツイートをしているが、それにはこの曲も当てはまる。インストのいいところというか、効能みたいなものを実感していた。(ツイート中の"あとは労力なし"というのは"だとしても"のために極論を言っただけ。) この曲は完全なループではないものの、どこを拾い出して繰り返してもいい、リフレインの快楽と、それで曲が続いていくということは自然なことで、むしろ曲が止まるときにこそきっかけが求められるのではというようなことを考えていた。


06. 逃走なら運転

諭吉佳作/men - 逃走なら運転 (Audio Visualizer)

 サンプル1と呼ばれていた。"運転シリーズ"の一曲目。クリックとリズムトラックの上に、M.2-5のオーディオだけを切り貼りしてできた曲。

 M.2-5といいつつ、聞いてパッとわかるメロディが使われているのはM.4「風雨に送迎」のみで、あとはだいぶ真剣に聞かないとわからないかなと思う。この曲には謎の疾走感があるなと思う。つぎはぎのリズム感、どの曲も原曲よりテンポが上がった上でさらに2倍速になっていたりもすることもそうだし、それによってかやはり「風雨に送迎」の木管楽器の音に不思議な張り切り感が生まれている。純粋に逃げているなと思ったための題だ。

 "運転シリーズ"では、まずクリックとシンプルなリズムトラックを用意した。(それはシリーズ三曲にほぼ共通で、なるべく特別なことはしないというルールを課していた。)それから、それぞれの楽曲のオーディオ(ステムではない。一本にしてある)のキーとテンポを揃えた(揃えていないものもある)。あとは好きなところを抜き出して、ループさせたり別の箇所や別の曲とクロスフェードさせたりしながら繋げていく。0.5倍速や2倍速になったりもしている。それ以上もあるかも。もちろん必要に応じてエフェクトプラグインなどはかけている。

 ただ、あるものの中から探さなければならないのでかえって自由度が低かったりもする。オーディオにしてしまっているので再生しないとどんな音か分からず、ステムじゃなく2mixなのでメロディだけがこの展開にそぐうのだと感じても、勝手にドラムのものすごい音がついてきたりする。(それがいい。)めちゃくちゃ手探りで、一から作るよりもよほど効率が悪いというか、やりたいのにやりづらい、パズルのようで面白いが、いらいらするような作業だった!

 俺は自分で作ったから、いくら回りくどい制作過程があるとしても、聞けばだいたいのことがわかるのだが、他者からするとこのような楽曲群がどう聞こえているのか、いまいち想像がつかない。パッと聞いたとき、サンプリングということがみんなにわかるのかどうかさえ、わからない。


07. そこで目が合う

 楽器5と呼ばれていた。

 もともとはこのリズムトラックに対してもっと明るく跳ねるような、たま〜に降った雪に喜ぶ、みたいなコード・メロディを乗せていたが、能天気さにムカついてしまい、音階のトラックを全部消した。でもやはりリズムはとても性に合うのでリズム残しで作り直した結果、こういう曲になった。現実そのものっぽい淡々と深刻な進行と、後半の浄化っぽい展開が、まさに当初と相反する形になったかなと思う。こちらは積雪のじっとりしたロマンと危険性が浮かんでくる。

 前述の、ボーカルに使うプラグイン(本当に大好き!)をマスタートラックにかけているため、通底して途切れ途切れの音。これがフィジカルのアルバムだったら、ブックレットに"ノイズはそういう表現です"って書かなきゃいけなさそうだな、と妄想していた。


08. チャットのリズム

諭吉佳作/men - チャットのリズム (Music Video)

 楽器10と呼ばれていた。

 何も説明することがないくらいシンプルな曲。ウッドベースの音階のない音が好きなので、使った。弦をはじいて、音階がほぼ鳴り切った後の「ンーガッ」みたいな音だけを取り出してベースとして使っている。当然、本当は音階の鳴り始めたときがいちばん強く出ていて、「ンーガッ」はそんなに大きく鳴っているわけではないので、相当音量を上げている。とはいえ他の音と混ざって曲になると、それ自体だけを取り出して聞き取れる感じではない。まったく同じウッドベースの音源をウワモノとしても使っているからか、正直自分でも区別がつかない。リズムが入る前の、出だしから0:09までならかろうじて聞き取ることができる。ただ、聞き取れねえよ!と思ってそれを抜くと、急に低音がなくなるので不思議。(普通にMIXが上手くないからなのかもしれない。)

 ずっと使いたかった音で、なんならこの曲はそれを使いたいという意欲だけで作りはじめた。のだが、よく考えるとそれってなんの音なんだ?弦がはじかれて止まる瞬間に、打音のようなものが出るのか?はじく瞬間に、弦がはじかれる音と、指がそれをはじく音がするのはわかるが……。

 例えば鍵盤だったら、打鍵音が鳴るのは想像に難くない。(内部の弦のことは一旦置いておいて、)鍵盤に指が振り下ろされる音、鍵盤が沈んでぶつかる音、そして音階が鳴る、鳴り切る。この後に、鍵盤が戻ってきて元の位置に収まりぶつかる音がある。そのことは、明らかに物と物がぶつかる姿が想像できるので、理解できる。ちなみに俺この音が大好きだ。電子ピアノの電源を入れずに弾くと気持ちがいい。ああでもそうか、弦にも、留め具(?)があるわけで、上下の両端を何かで留められているわけだ。そうでなければ震えることができないというかまずはじくことができないのであって、留められていれば無論、留められている部分に多少なりともぶつかる瞬間があるはずなわけだ。振動が治まる瞬間に?その音なのか。まあでもあまり想像はできない。ギターなら触ったことがある。留められているんだから、それを無理にはじけば、当然当たっていることになるだろうという気持ちと、いや留められてんだからぶつかりようがなくね?という気持ちが、ある。それか撓んだ弦がビーンと伸び切ったときの音なのか。まあこれは今の俺が頭で考えたところで仕方ない……。

 俺がいちばん頻繁に触れる"単独の楽器の音"はLogic純正の音源なわけで、それを楽器の音と思っているわけだが、(まあ実際の演奏を録音したものなのだからそれは間違いではないのだけれども、)それもなんだかな、と今はじめて思った。

 このご時世に、なんでも調べればいいじゃないかと思うけれど、ウッドベースをはじいて余韻が消えるまで次の音を弾かずに待って、それを余すことなく録音して見せてくれる、そんな解剖みたいなやり方をしている演奏家YouTuberがいるのだろうか?結局、本物(比喩的なではなくそのままの意味)に触れるのがいちばんわかりやすいことは多い。普通のソロ演奏動画なども見てみたが、よくわからない!

 話が脱線しすぎた。曲のことに戻ろう。鐘の音みたいなのが入っている(0:35、1:03)よね。あれを入れたとき、シンプルすぎるほどにシンプルだったこの曲のあり方がふっと変わって、雰囲気を決定づけた気がしたよ!


09. As a friend

 楽器13と呼ばれていた。

 この曲がいちばん明確な目的を持って作られた曲だと思う。アルバムの説明に書いていた"実演を模した"というのは主にはこの曲のことだ。友達と三重奏をする。ピッチが甘い。間違える。相手の出方を伺う。相手が止まったらそれに合わせる。再開するときも呼吸を合わせて。

 制作中にメモしていたテーマには、"楽器/ミスタッチ/微分音/ファイト"と書いてあった。打ち込みでミスタッチの再現を試みつつ、ピッチをずらし、音量を不安定にし、テンポも推移させた。"ファイト"というのは3人とも頑張って弾いているということだろう、友達として。

 聞いている人に一緒にハラハラしてほしい、頑張って……!と思ってほしい、と思って作ったのだが、何度か聞いていると、そういう曲としてすんなり聞こえてくる。

 弾いていて間違えたときの感覚がわかるのは、ピアノだけだ。ピアノだけは弾いたことがあるため。あと2つ、バイオリンとフルートは弾いたこと/吹いたことがないため、演奏を間違えるとどんな感じ感覚なのか、またどういうタイプの間違いがあるのかもはっきりとは知らない。

 

 これはだいぶ後に追記しているが、かなり重要なことを書き忘れた。この曲に限らず、俺はMIDI鍵盤を持っていないので、使っていない。それを使えば少なくともピアノのミスタッチのタイム感であれば再現できそうなものだが、すべてトラックパッドを三本指で叩いて入力している。


10. gym

 楽器12と呼ばれていた。

 こちらはもう普通に「よし、四つ打ちだ」と思って作った。基本的には、俺は四つ打ちに親近感がなく、ここ1、2年でやっとぼんやりわかってきた気がする。制作中のプレビューで、圧倒的に手放しでノリノリになれるのが四つ打ちのいいところかもしれない。作っていて楽しかった。

 広く反響する、人の集う場所で流れているイメージがあったので、マスターにリバーブをかけた。(こんなにマスターに色々していていいんだろうか。ダメなのかもしれない。ちょっとわからない。そんな感じの不安は抱いたものの、広い場所でかかっている以上、空間にある以上、反響してしまうのは仕方ないから、絶対にマスターにリバーブをかけます。かけるというか、かかってしまうのです。という強い決意を持って、かけた。この曲がどこかの空間で流れるとき、入れ子構造になる。)そういう意味の「gym」と、単純に勇ましく戦っていそうな感じもあるので、ボクシングとか、そういう意味の「gym」でもある。

 それがメイン扱いになっているM.11、14以外で唯一、うっすらと人の声(俺の。歌ってはいるが、ボーカルというよりは声。)が入っている。

 ループに関するツイートは、この曲のことでもある。基本形をループしつつ少しずつ形を変えていくのは面白いというもはや原体験みたいな種類の発見があった。歌ものを作ろうとしているとあまり考えないことだ。

 音楽的にはわからないが、感覚的には、昔に外国の誰かが作った全然知らない曲という感じがする。これこそ流れている曲であって、とにかく自分で作った感じはあまりしないのだ。Shazamしちゃうかもしれない。


11. 夜の運転

諭吉佳作/men - 夜の運転 (Music Video)

 サンプル3と呼ばれていた。M.7-10のオーディオがサンプリングされている。

 自分のボーカルを素材にして使いたかった。"運転シリーズ"には、ほぼ共通のクリック・リズムトラックの抜き差しと、既存曲のオーディオのみで作るという縛りがあったはずだったが、この曲ではどうしてもボーカルを足したかったので、その時点で色々となあなあになっている。新しくベースも足したし、リズムもちょっと足してしまった!

 この曲では、主には、1曲前のM.10「gym」がコードとして通底して使われているが、逆に、M.7「そこで目が合う」はごく一部にしか出てこない。M.8「チャットのリズム」の例の「ンーガッ」の質感を、この曲のリズムパターンと合わせて、とても気持ちいい物体イメージを作れたと思っていて、満足している。


12. 閉経や夢

 楽器8と呼ばれていた。

 これもほとんど癖(無意識、習慣という意味)で作った曲だ。ドラムのこういう音が大好きで大好きでたまらない。ピアノの音も大好きだ。3:24〜の3拍ずつのかたまりをずらしていくのも大好きだ。ただ本当に癖なので、それだけだ。結果的に、草原で眠っているようなイメージ。眠りのイメージはどんな曲にも常にあるかもしれない。特に言うことがない……。

 あ、ディレイだ。俺はそういえば、ディレイもあまり好きじゃなかった。なぜ?先述の通りオートメーションの管理が嫌だったからというのはあるけれども、音のことで言うと、うーん。まず以前の自分にとっては音質を変更するもののほうが入り用だった。どちらかというとパキッとしたものが好きで、ナヨナヨしたものが嫌だったので、同じ音がそっくり繰り返される(極論)割にはだんだん薄くなっていって最後には消える、なんていうのが嫌だった。それは他者の音楽がそうなっている分にはまったく気にならない。そういうものだから。しかし自分がわざわざやるのは気持ち悪かった。なのに、このアルバムでははっきりそれとわかるようなことをしている。レイヤーになる、重複する、あぶれるというような従来とはまた別の物理的なイメージを抱けるようになったからかもしれない。インストだからというのも大きいのかもしれない。結局、歌ものらしい歌ものを作るとき、唯一ボーカルには不可侵であるのに対して、他の楽器にならどんな大袈裟な処置を施してもいい、みたいな乖離に胸を痛めかけていた。リバーブに関しては今も、ちっともかけないかかけすぎるかの2択しか、進んで扱いたくはない。

 これは、今久しぶりに聞き返して、追記しているのだが、途中に喋ってるみたいな木管の音が入っているのが聞こえて、そうだクラリネットを喋らせようと思ったんだった、と思い出して、笑った。


13. Stunt in sleep

諭吉佳作/men - Stunt in sleep (Audio Visualizer)

 楽器7と呼ばれていた。

 最初の5拍子のパートはだいぶ前から作られていた。ボーカルを乗せなければと思っていたためか制作が進まず、放置されていたが、今回インストを作ることになって掘り起こしてきた。

 インストゥルメンタルという前提のまま、J-POP的な展開を採用している曲のひとつかなと思う。サビとも言えるメロディのあるパートでは拍が受け取りやすい数に変化し、それから再び5拍子に戻ったときにはよりそのリズムがファニーに聞こえる。

 この曲では、前述とはまた別の、ボーカルにかけるプラグインをマスターにかけていて、それがこの曲全体のうにょうにょしたピッチを作っている。こういうのは、当事者の思い込みがないとできないなと思う。会社にいたときなんかにも実際にあったが、他者からすると「なぜわざわざそうするのか、絶対にするなとは言わないが、別にしなくてもよいのでは」と思うようなところに、当事者は妙なこだわりを見せることがある。そしてそれは数年後の当事者にとっては、なぜ自分はそんなことにこだわっていたのかと思うような些事であったりする気もする。

 こういった、短音がころころと連なるような曲は俺が元来好きなもの、という感じがする。

 (追記)「夜の運転」と「保留音」以外でボーカルが入っているのは「gym」が唯一と書いていたが、これにも入っていた!!!うっっすらと。


14. 保留音

諭吉佳作/men - 保留音 (Audio Visualizer)

 楽器9と呼ばれていた。

 これは声を2/4拍、1本(2本だったかも)だけ録音して、あとは全部ピッチをいじって和声としている。たしかに声であるものが、単なる音になってきて、それがどこから出たかということが無関係になっていくようなイメージがある。俺がたまにやる趣味として、録音とか音楽とか関係なく、音程や音量などの質を変えずに続く音というのを意識して、口から声を出して、自分の声が音に聞こえるようになるまで待つ、みたいなのがあるのだが、それに近いのかな?どうだろう。今思っただけだから意識して作ったわけではないけれど。

 保留音という題がついたのは完成した後だが、それによってこの曲の目的?あり方?がはっきりした気がする。


15. first time

 楽器11と呼ばれていた。

 せっかくだから1曲くらい、エレキギターかエレキベース的な音が入った曲を作りたいなと思ってできた曲。のわりには、0:33から入ってくるメロディはバイオリンの音源をギターのアンプから出したもの。たぶんおれがそれを他人の曲として聞いたら、バイオリンの音とは思わないと思う。実際には0:51からのパートと、1:19からのパートで、エレキギター、エレキベースを使った。プロジェクトを見返したら、1:19からのハープみたいな高い弦楽器の音もエレキベースだった。作った本人でも、やっぱり見ないと思い出せないこともあるらしい。

 エレキギターの音は他の何よりも打ち込みで再現(?)しようがないから使わない!と固く決めて(というより諦めて?)いた時期もあったのだが、近年はよく使う。余談だが、俺にはなぜかバンドサウンド(?)の曲のストック(?)がある。


16. ホールド、そして運転

 サンプル2と呼ばれていた。

 M.1、12-15のオーディオがサンプリングされている。主に、ぱっと聞いてわかるものとしては、M.1「不注意を払う」とM.13「Stunt in sleep」のメロディが使われている。特に出だしの「不注意を払う」はキーを変えずに使われているので、聞いた感じもかなりそのままであるが、それらサンプルが全編通して3拍子に整えられている。

 4拍子の曲を3拍子に組み替えていくのはまったく難しくないが、(ざっくりと)2音目を前に寄せるか後ろに寄せるかだったり、ここでキメを作ってみようみたいなちょっとした遊びで、ずっとやっていられる。

 なにより俺は、オーディオのキーを後から下げたときのフォルマントも一緒に下がった感じの質感が本当に大好きで、後半の「Stunt in sleep」の音だけでいいと思えるほどだ。

 タイトルは、ダンスのこと。

 M.1「不注意を払う」の配置が"運転シリーズ"とそれ以外の曲順のルールにとって例外なのは、この曲に含まれているとはいえ、やはりどうしても先頭になることしか考えられなかったからだ。またこの曲が最後に流れるのも、この曲が「不注意を払う」のメロディを含むことから、リピート再生したとき自然に1曲目の「不注意を払う」に還ってくるようにという意図だった。でも本当は、俺はこの曲がマジですごーく好きなので、もうちょっと早めの順番に置きたかった。収録曲の多いアルバムというのは大抵、収録順が後ろであるほど聞かれないからだ。でも矜持が勝った。でも全然、シャッフル再生とかしてもらって、構わない。

 

とりあえず曲について、メモということで、置いておく。

ヘアブラシ

 家庭から一つのヘアブラシがなくなり、新しいものが入ってきた。それで一応、穴は埋まったわけである。俺の気がつくと、新入りは何食わぬ顔で鏡の前の置き場へ収まっていた。俺に挨拶もしない。ずっと以前からそうしていたみたいに見えたのは、いなくなったやつとほとんど色違いのように似ていたからかもしれなかった。心を全開にしたつもりはなかったが、無理に親しげな目線もくれず、何事もなかったかのようにそこにおり、ただ懐かしさのみを匂わせる、そのソフィスティケイトされたやり口に、俺はいつの間にか先入観や疑いを捨てていた。これまでと同じやり方でそれを手に取って頭に当て、地肌を撫でたのである。そして、それがおよそヘアブラシの役割を果たさないのをよくよく思い知った。

 笑えてくるほどであった。おかしい。たしかにヘアブラシの見目をしているものを頭に当てている。髪を梳かす動作、それは上から下に、なんら難しい動きではなく、時によって失敗してしまうようなことではない。でもすごく違和感だ。鏡には俺の姿が映っている。頭にヘアブラシを当てている。しかし目を閉じると、いやいっそ鏡の中を注意深く見つめたとて、俺の頭に接しているものが、ヘアブラシだとは考えられない。地肌との不和、伝わる感触が、その異物を排除したがる。ヘアブラシになっていない。そうだ、ヘアブラシになっていない!じゃあなんなんだこれは?俺はそれを置き場に戻した。戻したときの感じはヘアブラシだった。あらためて置き場を眺めてみると、たしかに新しいヘアブラシがある。不思議なものだ。

 やはりこの目でぱっと見た限りは、ほんの少し前まで使っていたものとほとんど変わらない。だから出会ってすぐだったにもかかわらず、簡単に信用したのだった。よく見て記憶と照らし合わせれば、色以外にも、持ち手の括れ方や部品の分かれ方、バリの残り方など、以前使っていたものと異なる部分は見つかるものの、それがどんなふうであれ、ヘアブラシという機能にはさほど影響のないように思える。そもそも、以前使っていたものにだって、特別なこだわりがあったわけではない。見た目にも機能にもなんの変哲もなかったし、今回と似たような経路で入手した商品だったはずだ。

 ヘアブラシがヘアブラシであるために必要なことというのはたしかにあり、その要件が満たされていることは決して当たり前ではなかったのだと気がつく。ありがたみを知るとはなんと月並みな!でも本当なのだ。

 しかし、たとえ限界まで安価であっても、ヘアブラシがヘアブラシの役割を果たさないというのは、いくらなんでもレアケースなのではないか。精密機器ゆえ平均的に高額な電化製品の廉価版(というか劣化版というか)などならともかく。昨今の格安のプロダクトは概ね、機能としては問題なく使用できるものがほとんどである。更なる品質を求める場合にはやはり専門店を訪ねるべきで、自分のこだわりに合わせて高いお金を使う分野を選べる。と、いうのが前提だと思っていたのだが。ちなみに、あのヘアブラシらしきヘアブラシは、俺の気づいたときにはもうそこにあったため、本当に限界まで安価なのか、俺は知らない。

 ともあれ。かくして、ヘアブラシというごく一般的な、複雑な機構や仕掛けを持たない(ように見える)道具でさえ、その最低限の構造自体がそれなりには複雑であるのだと気付かされることとなった。一般的に使用できるヘアブラシに備わっているはずの要素とは何で、では逆にヘアブラシもどきはどうだったのか。

 ヘアブラシもどきは、とにかく硬い。毛がカチカチだ。寝ぼけた力加減で使用すれば頭部に突き刺さるか地肌を削り取るかしてしまうかもしれない。刑事ドラマの中であれば、このヘアブラシもどきを凶器に一話分の事件を引き起こせそうなほど硬い。突端を覆う丸いやつもついていない。つまり端的に言えば、それが触れた地肌には痛みが広がる。それで俺ははじめて、一般的に使用できるヘアブラシは柔らかさを持っていたのだと気づく。程度の差はあるが、まず毛がしなる。商品によっては、突端が地肌を傷つけることのないよう別の素材でカバーされている。

 ヘアブラシもどきは、とにかく地肌と反発し合う。前述の硬さとともに、またその毛の配列、形状には、俺に寄り添おうという気が一切ない。接した瞬間、俺の頭とヘアブラシもどきとの間に、鶴嘴でコンクリを打ったような冷たい緊張が走る。ヘアブラシもどきは俺の頭と融和しようとはせず、自身の在り方を頑なに保とうとする。俺の頭だって、その身をかち割られるわけにはいかないので、互いの意思はやがて膠着する。ヘアブラシもどきを当てているのは俺なのに、誰かに突きつけられている感じがする。俺が俺自身を人質にし、俺自身が俺に人質にされるような、同時に二つの危機を感じるのだった。ふと一瞬、俺の頭の形が変なのかという考えが浮かぶ。心配になる。いやそうではない。他のヘアブラシではこんな思いを味わったことがない。それで俺ははじめて、一般的に使用できるヘアブラシは頭に馴染む形状を持っていたのだと気づく。中央の列ほど長く、端ほど短いのはヘアブラシのたいていに共通であるが、その長短の差が他のヘアブラシよりもさらに顕著だ。一切しならない毛が頭と反発するアーチ状であったら、中央の長い毛しか髪に通らないのは当然だ。硬いなら硬いなりの形状というものがあるのではなかろうか。かかる力が分散しないので、真っ向から勝負を挑まれている感じだ。たしかにヤンキー心は刺激される。やってやろうじゃねえのとは感じる。でも俺はただ髪を梳かしたいのであって。

 誰か、あのヘアブラシもどきを問題なく使える人はいるのか?いたら嬉しい。一定量作られ、一定量棚に並び、一定量手に取られているであろう商品が、誰にとっても使えないものだとは思いたくない。そして、俺にはまったく使えないものが、他の人には使えるのだという事実は、とても興味深い。そういう人と出会って付き合っていきたいと思う。もしくは、偶然に選ばれた人の目だけに見える、悪魔のヘアブラシだったらいいなと思う。この家がたまたま選ばれてしまったのだったらいい。地肌の痛みから家の中に負の感情が溢れて悪魔が形成されたら、そいつにはこの家の外に出ないようよくよく言い含めておく。とにかく、他の誰もこのヘアブラシもどきのことで腹を立てていないといい。

 


 指のばっくり切れたところがものの数日でくっついたとき、はじめてコンタクトを眼球に乗せたとき、歯列矯正の工程で、歯科助手の持つすべて(かはわからないが体重がかけられているとしか思えないほど)の力を我が小さな口内にかけられたとき、人間はどうして案外大丈夫なんだろうかと思った。そんなことして本当に大丈夫なのかと思うようなことが案外大丈夫であることが、専門家の口から、説明書の文面から、またこの特別には逞しくもない俺の身体そのものから、語られる。俺はそういう状況と遭遇するとき、これ以上痛い思いはしたくないという願いを抱くとともに、大いなる希望を感じる。制御不可能な人生にとって、人間が案外大丈夫なことは、とても助かる。(もちろん、俺個人がそれに耐えられるくらいには丈夫に生まれてきたという話であるが。)

 だから、ヘアブラシもどきで髪を梳かして、ちょっとくらい地肌が痛くても、こいつとは仲良くやれないなと感じても、大丈夫なのかもしれなかった。がしがし梳かしてしまえば案外梳かせるのかもしれなかった。でも俺ももう大人だし、そんなことで我慢とかしたくないのだった。

緑色と、あと色というものについて

 俺は、何色が好きですかと尋ねられるとあ知らないんですねと思うくらい昔からずっと緑が好きで、そのことは、同一の物質にとって必ず沸点よりも融点の方が低いというのと同じくらい当たり前なので、そんなことを尋ねられるとあ知らないんですねと思ってしまうものの、まあ知っているわけないとも思う。最近の俺は傍目にはそんなに緑好きそうでもない。

 保育園児だった頃は、「エメラルドグリーン」が好きだった。エメラルドグリーンと呼ばれる色の平均的な数値がいくつなのかは知らない。今も知らなければ当然、当時も知らなかった。俺はクレヨンの緑の上にクレヨンの白を重ねて紙の上で練り上げていた。それで自分の頭の中にある色を作っていたのだ。だから、緑のクレヨンがすり減るのは当然として、白も案外減っていた。白の先端にはだいたい緑が混じっていた。で、その景色を思い出してみると、エメラルドの色じゃないな、と思う。なんと、あれはエメラルドグリーンではなかった。

 エメラルドの色はカットされた宝石における表面の光沢と、透明度が見せる表面(断面)から内部また奥側の表面(断面)の内側という多層状態からなる濃淡を含む包括的なものであり、そもそもこれと断言できる色ではない(色名なんて、というか言葉なんて全部そうだ)が、エメラルドグリーンという表現は大抵、やや青みがかり深みのあるしかし明るいグリーン、を想起させるものと思われる。当時クレヨンの緑と白を混ぜてできたものはというと、かなり原石のエメラルドに近い色だった。でもそれはたまたまだ。エメラルドグリーンと聞いて原石の色を想像するひとがいるならそこそこの捻くれ者だと思う。それがまさか保育園児ということはまずない。

 俺は当時から宝石に憧れていた。硬そうなものと、透けているものと、光っているものが好きだからだ。(エメラルドの硬度は石の中ではそれほどでないことを今は知っている。)あのとき好きだったのは緑という色と、エメラルドという宝石の両方で、言語が認識を、認識が言語を双方向に定義付け裏付け、また裏付け定義付けることが可能だと思い込んでいた幼児の俺が「エメラルドグリーン」と言うとき、俺の頭の中にはいつも任意の緑色があり、それは実際には往々にして、エメラルドの色であったり、またエメラルドの色ではなかったりした。エメラルドという石が好ましく緑色であったために、好ましい緑色のことをエメラルドグリーンであると裏付け定義付けたからだ。たしかに本当にエメラルドのような色だったこともあっただろう。エメラルドグリーンと呼んで誰もが想像するような。でもそのときも、そうじゃないときとなんら違わないのだ。実はエメラルドグリーンには特別な思い入れがなかったのだから。たぶんペリドットのような色でもよかったのだ、ただ知っている緑の宝石がエメラルドだったのであって、と書きかけて、そういえばその頃は黄緑色を受け付けなかったと思い出した。するとペリドットではだめだったのかもしれない。

 小学校高学年頃からだろうか。あんなに青緑が好きだったのに、緑色の中に青の成分があることを許せなくなった。その混色の微妙な"間(あわい)"みたいなものが、変に気取った感じに思われ出した。しかし不思議だったのは、今度は、緑が黄のほうにずれる分にはまったくむしゃくしゃしなかったことだ。正直に言って、たしかにその感覚は今まで引き継がれているように思う。黄みの強い緑色は実直で硬派だが、青みの強い緑色はなんだか洒落臭い。今青緑を再び好きになったのは克服であるとまで言っていい。青緑を好きになったというか、また再び緑のすべてを愛し始めたということだった。

 俺は案外、緑色の服を着ない。緑色が好きだからといって身に纏うすべてのものを緑色にしたいわけではないというのはまあ前提だが、とはいえスーツケースもメガネケースも免許証ケースも(なぜケースばかりなのか)緑色だし、つまりカラーバリエーションをこの中からどうぞとされる場合には堂々と緑色を選ぶというくらいの矜持はあるのである。しかし、単に優しさとして提示されるカラバリ的緑色と、ショッピング中予期せず出現する衣類の緑色とは、決定的に違う。前者には世間的に共通する「緑色性」というものがあって、後者にはさほどないということだ。

 緑のほうが好きなのに、色味のある服となると青系ばかり買っている気がするのは、気のせいではなく、たぶん世間的に共通する「青色性」がそうさせている。これは全部予想なんだけれども、たぶん青色性の強い青を配色された商品は世の中に多い。青が原色だからだ。円環に赤と青と黄を置くと、黄と赤の間に橙が、赤と青の間に紫が、青と黄の間に緑が生まれる。それを繰り返して、一時期の俺の嫌った、間(あわい)というのがどんどん出てくるのだ。(まあ本来は逆で、世の中にある色を系統立てた結果そういうふうに並べることができたのだろうが。)そこで、赤に近い紫をごく簡素な言い方で赤紫と言ったり、黄に近い緑を黄緑と言ったりする。最終的には度合いによるとか個々人の感覚によるとしか言えないことであるのだが、乱暴に言って、赤紫や青紫は大抵が紫であるし、黄緑や青緑は大抵が緑である。赤橙や黄橙(こんな言い方があるかは知らん)は大抵が橙であるのだ。「赤紫」の意味は、そのまま、「赤い紫」である。原色たる赤・青・黄は、半径上ならばともかく、円周上を少しでも移動すると、途端その固有の色の効力を失いがちである。さすれば青は己を青色と主張することのできる範囲が狭いということになり、青の商品は少ないのではとも思われるが、また逆に、青いものを作ろうと思うとき、それ相応に青くしなければ青と判断してもらえないというハードルとも呼ぶべき指標が設定され、似通った青、つまり「青色性」の高い青が作られるとも考えられる。個々人の好みに左右されない決定的な青(もちろん青そのものが好きじゃなかったら終わりだが)ができあがる。その普遍性は、商品を手に取らんとする万人にとって通用するものであるというだけでなく、商品同士の取り合わせの汎用性にも繋がるものだ。青い商品1と青い商品2は合わせやすいことが多い。しかし緑の商品1と緑の商品2はぜんぜん同じ色じゃないのである。

 (染色の心得があるわけでもないのに、)白い靴を緑色に塗ったことがあった。それは俺にとって、緑色の既製品を買うよりもよほど迷わなくていいことだった。好きな色に塗ればいいからだ。染色自体を失敗するリスクを考慮しても、その緑色がより俺の好きな緑色に近いことのほうが優先されるべきだった。

 


 先日、これまで好きになったアニメ・漫画・ゲームのキャラクターを思いつく限り色相環の上に並べてみた。緑の部分に集結するに違いないと思ったからだ!

 さて、無論どこに発表するわけでもないので、作業はテキトーなものである。まずは色相環の画像を拾ってきた。それから、これまでの人生を振り返り、触れてきた作品をなんとか掘り起こしながら、思いついた順に検索をかけ、キャラクターたちの顔を色相環の上に貼り付けていく。するとその作業の中でまず初めに気がつくことと言えば、当然だが、このキャラクターは何色であるとはっきり断言できる場合ばかりではないということだ。俺はただ「色の好みはキャラクターの好みにどの程度影響するか」を検討したかっただけなのに、ここで、「キャラクターの構成要素としての色」ということについて、そこそこ真面目に考えざるを得なくなった。

 大抵、キャラクターのカラーリングは、まず髪色が一番大きな割合を占め、その次に目の色という順番になると考えていた。単に、面積の問題だ。長髪であれば尚更、髪色のほうが印象に残りやすい。しかしその二つが同系色でない場合、面積が少ないからといって目の色はいつも無視されるのか。黒髪や金髪や茶髪のキャラクターのイメージカラーが、その髪色を理由に黒や黄や茶にはなることは少ないと思われる。イラスト上の髪を黒く配色するときと青く配色するときでは、同じ一つの色を選択する行為であっても、まったく選ばれ方が異なる。と、俺は思っている。他にも、髪にも目にも衣服にもほとんど配色されていない色がメンバーカラーとして設定されている場合それは加味するべきなのか、最も印象的な色がグループやチームのユニフォームの色である場合その色は誰のものなのか、などという諸問題にぶち当たったりする。それらのキャラクターの髪色や目の色がナチュラルなものであると、いよいよ円環のどこへ配置すべきかわからない。

 実際にはもっと感覚的な作業だったが、あえて順序立てて言葉にするなら、①基本は配色された面積の多い色(大抵は髪)を優先する、②染髪なしに実在する系統の髪色で、目の色のほうが印象的(人為的)な場合は目の色を優先する、③差し色のほうが印象的(人為的)な場合は差し色を優先する、④グループ・チームカラーが最も印象的である場合は便宜上それを優先する、というような基準を設けたことになるのだろう。

 やっぱり緑色が多かった!緑色のキャラクターを思い出そうとしてしまっているというのもあるかもしれないし、思い出せたキャラクターたちも黄緑から青緑までまた濃淡も多種多様だし、そもそも先の基準に則り、第二位の配色を優先した結果緑と判断されたキャラクターもいるため、あくまで緑系統としか言えないものの、その数は圧倒的に多く、逆にその反対の、ピンクを含む赤系統が少ないこともわかった。

 (これは余談だが、円環の中に主人公と呼べるキャラクターはジャック・スケリントンしかいなかった。ただ俺はナイトメアー・ビフォア・クリスマスを見たことがない。だから主人公かどうかはぜんぜん関係がない。俺は今のところジャック・スケリントンの見た目が好きなだけだ。ジャック・スケリントンは流石に黒と判断し、真ん中に配置。)

 


 一度だけ、パーソナルカラー診断を受けたことがある。眼鏡屋で眼鏡を探しているときに、診断のできる者がいますというのを見かけて、俺はそのときリムがなく強いて言えばブリッジとテンプルが銀色の眼鏡の目星をつけていたのでパーソナルカラー(診断)はほとんど関係がない(まあ金属アクセサリーにおいてはゴールドとシルバーどちらが似合う似合わないという視座は一般的らしいものの)のだが、どんなものかと思って受けてみた。

 つまり好奇心でしかないので、診断してくれたスタッフの方の技術や診断結果がどれほどたしかなのかは俺にはまったくわからない。しかしそんなのは瑣末なことだ。

 胴にフラッグのような薄い布を幾枚もかけられ、スタッフの方がそれを妙に軽快な手捌きでめくっていくと、顔色、否、きれいに見えるとかくすんで見えるとかそういう価値観ベースじゃないかということはともかく、本当に実際にはっきりと顔の色が変わっていくわけである!なんだよマジなのかよ、と思う。顔色とは良し悪しと共に語られるもので、顔の色というのは、本当にただ顔の色だ。顔が赤かったり青かったりそれがまた濃かったり薄かったりする、そういう色のことである。光源があり、ものとものの間に光が入り込み、同時に影がつくられる部屋の中で、反射するマテリアルに対して外部からの働きかけがあれば、そういった色の変化が起こるのは当然なのだが、少なくとも俺の日常生活の中には、こんなにもはっきりとそれだけを検証する時間はない。その上でさらに、顔の色には顔色という健康や審美に関する物差しがあるため、なお一層その変化がありありとわかる。

 布を捲る手首に謎のスナップが効いている。肌の見え方が変わる。俺はあまりに感銘を受けて、マジシャンみたいですね、と言った。実際に。特に否定も肯定もされなかったが、マジックショーに参加したことのない俺にとって、眼鏡屋のスタッフは今でも一番のマジシャンだ。本当に。手首のスナップがなければそこまでは思わなかっただろうという気もするが。

 


 なんで俺の人生最高のマジシャンの話になったんだっけ、あ、そうだ、色です。

 俺が初めて全頭染めをしたとき、美容師の方には、こんな感じで赤くしてくださいと言ってイギリスの俳優の写真を見せてみた。俳優とその赤髪の役がすごくよかったからというのもあるが、俺の人生の選択はわりと消去法なので、どちらかと言えば、何色かに染めたかったが、仮に青系統に染めて、「自分のこと青色属性だと思ってるんだな」と思われるのだとしたら非常に恥ずかしい、という気持ちのほうが大きかった。髪は結果的には濃いめのピンクになった。思っていたのとは違ったが、しっくりきたし、何より青じゃなかったのでよかった。

 こういうふうに書くと今度こそ「青色属性だと思ってるんだな」と思われてしまうだろうが、もうこの際どうでもいい。俺は本当は何色なんだろうか。俺は緑色を愛しているが、別に愛されているとは思っていない。

2024/men

 今年は一度もブログを書かなかったらしい。なるほどそうですか……べつにそれでもいいのだが、今俺がちょっと急いで書けば書いたことになるのだと思うと、自然と、じゃあそうすればいいじゃないかということになってくる。

 年々、記憶力がなくなっている。あったことは覚えているが、本当に今年だったのか、もしかしたら昨年のことなのか、全然わからない。昨年もそうだった。でも今年はさらにそうだ。

 猛スピードで進んだもの、やっと解禁になったものがまぜこぜになって、新しく好きになったものや新しく出会った人がいて、なくしたことも始まったことも多く、けっこう頭がめちゃくちゃだ。

 3DCGをはじめたのが今年の3月なのには驚く。(ひとりで音楽と映像を出し続けていたので、もうほんとよくわからなくなっている。)映像編集ソフトを変えて、レイヤーが無限(ではないと思うが)になったのもよい変化。これまでは重ねて、書き出して、重ねてまた書き出して、をしていたので、これにより超、効率が上がった。

 ライブもさせてもらった。残念ながら出られなかったものもあったが、それも含めて、出会いがあったことが嬉しかった。どれも素晴らしい時間だった。

 コラボレーションや楽曲提供も、とても充実していた。ずっと知っていた人との念願の一曲もあれば、はじめましての人との新鮮な一曲もあった。メモリアルなものもあった。出会いと別れの人生にざわざわする。

 執筆もいくつか。これは続けていきたいなとすごく思うけれど、本業じゃないのでそう機会があるものではないし、来年はまずブログを書いた方がいいのかもしれない。

 あと、人に背中を押してもらって、頑なにしなかったグッズ販売を始めた。SUZURIでTシャツを販売中。

 

 ともかく、出演したライブ、関わったリリース、その他、個人の作品の順にまとめてみる。

 

◆ライブ

2.10

猫を堕ろす 主催
 原書のポップツアー 東京編

  NEPO吉祥寺

3.10

UTERO 主催

 Return to UTERO

  西永福JAM

4.14

 SYNCHRONICITY’24

  O-EAST 2nd Stage

5.3

電影と少年CQ 主催

 電影と少年CQ不定期公演 東京の合唱vol.22

  渋谷Star Lounge

5.17

 【溶】-YOU-

  TOKIO TOKYO

5.19

幽体コミュニケーションズ 主催

 【借景】act.1『Meta-漏れる眼-bathrooM』

  京都メトロ

8.29

春ねむりツアー2024
 サンクチュアリを飛び出して

  CLUB UPSET

9.29

huez presents
 「Powered By huez」vol.01

  WALL&WALL

10.8

でんぱ組.incエンディングツアー
 宇宙を救うのはきっと、でんぱ組.inc

  豊洲PIT

12.14

KAOMOZI 主催

 TACHISM vol.9

  阿佐ヶ谷mogumogu

 

※8.31 OPEN DOOR by Thir(s)ty One は天候の影響により出演キャンセル

 

◆リリース

2.17

fishbowl

 一雨feat.諭吉佳作/men

🔗- YouTube

  (歌唱)

6.19

tipToe.

 最後の朝が来る前に

🔗lighthouse by tipToe. | TuneCore Japan

  (作詞・作曲)

5.15

Foods

 春風とコンビニスイーツ(feat.諭吉佳作/men)

🔗Foods - 春風とコンビニスイーツ feat.諭吉佳作/men

  (共作 作詞・作曲)

5.27

usabeni

 trip(諭吉佳作/men Remix)

🔗AIR by usabeni | TuneCore Japan

  (リミックス)

9.14

ネオンネウロ

 たしか、こんな綺麗事。

🔗たしか、こんな綺麗事。 by ネオンネウロン & 諭吉佳作/men | TuneCore Japan

 (トラック提供)

10.19

初星学園 姫崎莉波

 L.U.V

🔗NexTone.Link: L.U.V

 (作詞・作曲)

10.25

JUSTIN S & 諭吉佳作/men

 YAWN

🔗- YouTube

 (共作 作詞・作曲)

11.6

diig

 neon

🔗neon by diig | TuneCore Japan

  (作曲・編曲)

12.11

自由ヶ丘 & 諭吉佳作/men

 サンスクリーン・フィルム

🔗BIG UP!

  (共作 作詞・作曲)

 

◆その他

5.21公開

ブリージングデバイス "Ston" 作業用BGM

🔗Relaaaax | 頑張る人の、ひと休みをアップデートするwebマガジン。

  (音楽)

7.31公開

長谷川白紙

 外

🔗- YouTube

  (THE FIRST TAKE コーラス)

10.9発売

Quick Japan vol.174

  コラム企画「DtP」にてBUCK-TICKについて

🔗俺はもうBUCK-TICKを知っている(諭吉佳作/men) - QJWeb クイック・ジャパン ウェブ

発売中

VACANCES 第5号
 遊びはどこにある?

🔗VACANCES

  (エッセイ)

11.24

坂元裕二 朗読劇2024

 「忘れえぬ 忘れえぬ」再演

  (音楽)

12.5-12.11

チェリーマン写真展

 #チェキ展2

  AWAJI Gallery / Gallery & Barくらげ

  (モデル)

 

◆個人の音楽・映像

4.9

 ビス

🔗- YouTube

4.26

 Call me

🔗- YouTube

6.3

 レ♯ (check)

🔗- YouTube

6.22

 にゃんこ・ニュー

🔗- YouTube

7.13

 Our eyes

🔗- YouTube

8.3

 限界の海

🔗- YouTube

8.20

 愛の星

🔗- YouTube

9.1

 Q

🔗- YouTube

9.18

 天性のフラストレーション

🔗- YouTube

10.10

 intuition/thought/health

🔗- YouTube

10.20

 Happy Halloween DEMO

🔗Happy Halloween DEMO - YouTube

 

 ひとまず以上!追記するかも。

 2024年bye-bye(ゝ。∂)