実際に、時間がかかったし、何度も同じ場所を行ったり来たりしたし、いくつも意見をぶつけ合ったから、本当に大変だったと振り返るのだが、こう書き出してみると、共同制作って本来そういうものなのでは、とも思う。ただ、ではなぜそんなに大変だったとしきりに感じるのかというと、今回の制作は比較対象のない、正解のわからない問題だったからだろう。(まあそれも、作品なんてぜんぶそうでは、という話では、ある。)
「THE TRAILERS」
Artist:諭吉佳作/men & abelest
Artwork:Yo Oyama
Mastering : 木村健太郎 (Kimken Studio)
Cat# :MARU-196
Released : 2026/06/24

映画の予告編を模した音楽を作ると決めたが、そんなものはない!音MADのような、結果的に共通の要素を持つ音声作品はあるだろうが、少なくとも私の知っている限りでは、同様の理念のもとに制作された音楽の心当たりはない。「映像がないのに"特報映像"ってタイトルだったらめちゃウケますよね(笑)」みたいなノリと、全工程を検討し修正し続ける真摯さが共存している、かなり不思議な制作だった。
ここに記すことは基本的に私の考えであって、(制作中に逐一共有してはいたものの、)必ずしもabelestさんと同じとは限らないと断っておく。
映画予告編は往々にして、現在の私たちに平気で嘘をつき、未来の私たちを映画館に居させようと仕向ける。やがて私たちは暗い部屋で、嘘をつかれていたと知るのだが、その嘘に感謝することになる。どんないきさつであれ、私は映画館に来てこの素晴らしい作品を見られたのだから__というのは広告と商品全般の関係性の事実でもあるが、映画の広告つまり予告編はその性質がとても顕著だ。
食べ物の味を、食事とは無関係な「音と映像」で表現するとき、宣伝と実際の商品との間に嘘というか、多少の乖離があっても仕方ない。そもそも使われる感覚が違うわけで、そっくり予告するのは不可能だからだ。一方映画は、本編も予告編も同じ「音と映像」の形式であり、まったく同じ素材を使えるのが特徴的だ。やろうと思えば本編の切り出しをそっくりそのまま使えるその上で、意図的に嘘をつく。(もちろんまず第一には尺の問題である。)
今回の"予告音楽"制作ポリシーのまずひとつに、そういった「本物を使った偽物の期待感」の操作、がある。劇的なシーンだけが展開されるが嘘が混じっているし核心には触れない。寸止めの快楽を味わわされる。本編を期待する。しかし今回は架空の映画なので、"偽物の「本物を使った偽物の期待感」の操作"ということになる。寸止めとは寸前で止めたということだが、今回の作品に後はなく、動き出さない。それは拍子抜けを意図的に生み出すということでもある。
また、特に私が志したのは、音楽としてのあり方だった。多くの予告編に見られる、静謐な劇伴から熱狂的な歌モノ主題歌へのアクセスや、入り乱れる、文脈から切り離された印象的なセリフ郡、場面カット。驚かせるための唐突な空白と、ものものしい効果音。予告編は、まず本編があり、その素材を用いて後から作られた別物なのである。しかし、今回はそれらぜんぶを本編として、音楽の展開として引き込みたかった。セリフを歌と同じ土俵に置き、その両方をメインボーカルにしたかった。展開があたかも追加編集のように聴こえて、さらにそれが音楽的展開として自然に作用していたら成功だ。一本の完成した楽曲をカットしてセリフと効果音を加えたのではなく、ぜんぶ一体のものにしたかった。映画の予告編から音だけを取り出したものでなく、全体像が実際に音楽になっていなければだめだとも思った。(や、とはいえ、実際の音楽とは……?逆に、音楽じゃないものとは……?)
結果的に、何度も進退を繰り返しながら全工程(作詞・作曲・編曲・セリフ考案・ボーカル録音・セリフ録音)を行き来したのは、品質を上げる以外にも、形式的な意味があったと思わされる。「後でやったこと」がひとつもなくなったからだ。いつだったかに見かけた、「AIが生成するイラストは、線画だ色彩だという工程を分けて認識し順行するのでなくただ完成版を色の集合として出力するようにできているからなんかもやっとした輪郭になるのだ(というような旨、私の解釈が入ってしまっていると思う)」という説を思い出した。今思うと、それが今回の制作方法の理想だったのかもしれない。(ただここを掘り下げていくと、何がどうだったら「後」もしくは「先」なのか、認識が曖昧になってくる。予告編は、作るのは当然に本編の「後」だが、予告編は予告するものだから、放映は本編より「先」であり、予告編のなーんか未確定な感じ、というのは、すべてが確定しているからこそ作り出せる意図的な演出である。)
ちなみにこの、ボーカルとセリフ、また楽器演奏の打ち込みとオーディオの大胆な切り貼りを同列に扱うこと、予告音楽とは予告編に使われる主題歌のことではなく、セリフも編集も含めてぜんぶを一個の音楽にすること、について、制作中の私は「今回やってる制作は、全部同じところで作っているし、原作と呼べる映画本編、フル尺の曲(主題歌)、がなく、切り貼りされたかのようなものを一から作っている、つまり原作が切り貼り状態、ということが前提。もしこれらの「予告音楽」が何かの主題歌になって予告編が作られるとしたら、すでに切り貼りされてセリフも乗っているそれらの曲を、さらに切り貼りして、さらにセリフを乗せる、という入れ子構造になるということだ」と説明していた。意味がわからない。仮定が仮すぎる。
というような作り手の考えが、今となってはついに完成された一本ずつ、計三本の音源から伝わってくるかどうかは、もう全然わからない。作っているときも、そんなことは聴く側には問題ではないのかもしれない、考えすぎなのかもしれない、という思いはたくさん浮かんできた。聴き手を舐めているとかそういう話ではなく、我々が深みにはまっているだけなのではと我々自身を恐れたということだ。実際、深みには何度もはまっていた。
ただひとつ完成版からはっきり言えるのは、こんなに歌ってしゃべっているものはそうたくさんはないのではということだ。重なりすぎである。でもそうでなくてはだめだろう。
たとえば声ネタと呼ばれるような、既成作品から抜き出した(かのような)セリフやナレーションなどをサンプルとして取り込むことはあっても、そのために(いちおうおおまかなストーリーのある)セリフ郡を収録し、こんなにたくさん(しかも断片を、支離滅裂に、とはいえ、本物の予告編よりも使える尺が多く、またセリフ郡が中身のない虚無的なものになってしまうことを避けるため、けっこう会話している。本物の予告ほど支離滅裂ではない。)並べる、しかもその制作をぜんぶ同じ人がやっている、というのはあまりないことなのではと思われる。まあ今回の制作において一人複数役というのが必須の要素だったかというと、別にそういうわけではなく、そのほうが楽だから、やりたかったから、がいちばんの理由なのだが、それによって偽物、模倣であることは強調されている。わざわざ他者を巻き込んで「偽物を作りましょう!」というのは矛盾している。ちょっと本物になってしまう。
今考えると、上記「(かのような)」は今回の制作を端的に説明している。あたかも本編があるかのような、それをその後に編集したかのような。これは、ない本編から素材を抜き出し続ける作業だったのだ。
今回録音しすぎて、もうセリフの録音がまったく恥ずかしくない。映像作品から抜き出したかのような声、権利的にクリアな、けど素人のだから安易に使える音源、がほしい人はぜひ声かけてほしい。なんでも録音します。
6月24日0:00になると、告知はまだだが、「THE TRAILERS」は人知れずリリースされた。配信サイトに三曲のタイトルが並んでいるのを見たとき、何故か「うわ予告編だ!」と思えた。タイトル自体はもちろん、おそらくフォントも制作中と同じだ。その文字列は見たことがあるのに、やはりLINEやテキストファイルで閲覧するのと違い、そこにはプロダクトと化した文字が並んでいる。すごく、本当の予告に見える。(本当の予告に見えるとは……?)
以下は感想・思い出したことたちです。思い出したら追加メモします。
⚫︎EP「THE TRAILERS」
・まず、結局私がしたことは何かというと、ベースとなる歌詞・メロディ・トラックの制作、脚本の整理の協力、間を埋める普遍的なセリフの考案、ボーカル、セリフ読みです。
・作詞曲、トラック制作は普段やっているのと大差ないのですが、やはりシナリオ・予告編らしさ・音楽性のバランスにはずっと悩んでいました。
・歌メロ自体は自分の作るものの中でもかなり元気でポップな部類と思われます。
・セリフを録音しまくるのは初でした。ただ長らく漫画を音読してきた甲斐(?)があり(?)、前のめりでできました。今聞くと、あまり自分が喋っているとは思えません。もう同じ声出せないと思う。
・こんなメモを発見した。
ちょっと違うが、ちょっと実現した。
・厳密には、「飛んでTSUBASA!」本予告 と「Fluxa」予告 の間に、福岡市で開催された「大チャリチャリ展」で流すための「チャリチャリあるある」が会話化されたものを読み上げる仕事、というのがあった。abelestさん経由で受けたものです。私の住む地域にチャリチャリはない!80個くらいのシチュエーションを、人物によって声色を分けながら、私の知らないチャリチャリユーザーたちの思いを想像しながら録音しまくりました。それがあったことでかなり、人に聞かれる前提でセリフを録音するという行為に慣れました。
⚫︎M1 「飛んでTSUBASA!」本予告
・担当したセリフの役は、って書き出そうと思ったのですが、全員でした。この曲は全員私でした。
・成り立ちがめちゃくちゃなので細部に触れることを忘れがちですが、ドラムをとても気に入っています。ずっと鳴っているコードの音も好きです。
・私が、デモ段階の自分のパートのマスターにファズをかけていたということを話して、そういうパートがあってもいいかもという流れになりなんやかんやしたら、abelestさんの歪み爆音パートができあがっていました。今思うと、謎の着地です。
・「きれーい!本当に飛んでるんだ〜そりゃあ感動するよ!」のくだりと、いちばん最後の「高いなー!」に始まるセリフ郡は私が書いたものですが、私は一度も飛行機に乗ったことがないので、すべて勘というか、願望です。空港のホームページや、旅客機の窓から海面と陸地を見下げる画像を検索しましたが、窓際の席でなければそもそもないものだということにさえ途中まで気づいていませんでした。私は未経験の事柄、もっと言えば未経験であることそのものを過度にドラマチックに捉える傾向があり、それは人生のいくつかの場面で私を落胆させてきたが、今回は多少役に立ちました。
⚫︎M2 「Fluxa」予告
・担当したセリフの役は、「楓」さんと、「AI-2」です。
・"AI-2"の喋り方には悩みました。はじめは、人間(楓さん)との違いを出すために、もっと昔のAI、もしくはボーカロイド__これも「昔の」という注釈がいる__に近いような、平坦かつ、呼吸を感じない、吐いたそばから吸っているような発語をしていましたが、実は最近のAIはもう全然そんな喋り方をしていないという事実と、ロボ的喋りをしたい!という気持ちの間で葛藤しました。結果的に、最近のAIを真似ることになりました。最近のAIの声は、私は主にCMで耳にしますが、息遣いがあってすごいですよね。でもずっと流暢だったのに突如として標準的でないイントネーションが挟まったり、表情があるのに抑揚の天井が見えたりして、そのアンバランスさが面白く、なるべく再現しようと努めました。
・作業の終わり頃に思いついて、最後のセクションに荒い呼吸と泣き声を追加したのですが、録音中悲しい声を出していると、本当にすごく悲しくなってしまい悲しかったです。それが追加されるだけでかなり曲も悲しい感じになり、ちょっと引きました。
・ちなみに私はChatGPTとかその類のものを使ったことがありません。やりとりのスクリーンショットを見せてもらったこととかはありますが、なので正直、「AIとチャットしたときあるある」の実感は特にありません。その代わり今回はAI側になれて(?)面白かったです。
⚫︎M3 「劇場版 チーキーズ・ミリオネア 水族館篇」特報映像
・担当したセリフの役は、ナレ1、主人公二人、敵キャラ三人です。
・この曲のメロディとその歌詞は、ここ最近でいちばんうまく書けたなと思うくらい気に入っています。abelestさんのパートもめちゃくちゃすごい!もし仮にセリフがなかったとしても入り乱れている曲ですよね。
・1:16-1:19がめっちゃ好きです。
・2サビに登場する敵キャラはぼんやりとしたイメージで私がセリフを書きました。「このわたくしに勝てば〜」の人のことは、「抽選券お嬢様」と呼んでいます。
