諭吉佳作/menたち

書きたいことを書きたいように書くかもしれないし書かないかもしれません

Happy Halloween DEMOについて

 ハロウィーンにも、なんだかんだ言っていろんな要素があるなと思います。カボチャ、お化け、仮装、お菓子、とかまあ色々です。

 本当に、なんとなくの知識で言っていますので、もっと知りたい方は本とかを読んでください。

 


 要素が多い分、視点の付け方にも種類が出ますね。もちろん現代人がグッズを作るためにそういうものが生まれたわけではないんですけれども。

 もし我々が現代でハロウィーンパーティをするなら、仮装をして、お菓子を渡したりもらったりして、夜にはちょっと豪華なご飯を食べたりするでしょうか。もう一歩踏み込むなら、近所のお家を回ってトリックオアトリートを言ってみたり、ということも、自分が子供で、流行病とかさえなければ、できると思います。これはハロウィーンの雰囲気の出るやり方です。

 または、霊が私たちの暮らす場所へやってくるという考え方です。関わりの深い人の霊を迎え乾杯し、悪霊からは逃れるために自らも悪霊に仮装する。これは雰囲気というよりは、意義のある考えです。

 ある一定の時期に生者と死者の世界が交わるという考えはまあ言ってしまえばお盆にも似ているんだと思いますが、ついでにお盆のことを調べてみると、お盆は先祖の霊が山から道を歩いて帰ってくるなどと考えているのに対して、ハロウィーンは世界と世界とをつなぐ「門」や「境界」のようなものからやってくると考えているらしく見える。お盆は見ている対象は基本的に親しい者の霊で、迎えるつもりであるが、ハロウィーンはその限りではない。全部がやってきて、良いものは歓迎するし悪いものからは隠れる。悪い霊というものを想像する時点で、ハロウィーン的に考える死者のほうが、お盆的死者よりも、生者とは別物だという考えなんでしょうか?

 現代のハロウィーンシーズンの影響として、友達と開く楽しいパーティ、好きなアイドルのハロウィーンコンセプト、経済効果はもちろんでしょうが、人々が集まる場所で起きる事件事故、残されるゴミなど、現代的な問題もあります。特に昨年に起きた韓国での雑踏事故はとてもショッキングでした。今年は渋谷駅前の看板もとても話題になりましたが、まああの看板の掲げ方はともかく、それだけの事故が起きたということです。

 ハロウィーンをテーマにした曲作りをしたいという考え自体は、何年も前から持っていました。ハロウィーンの持つ空気や音楽性に惹かれていたからです。悪霊から逃れるために自ら悪霊に仮装するというようなことは、一見矛盾しているようにも見え、だからこそ切実な願いそのものと感じます。私はその考えを身をもって知っているような気がしていました。ハロウィーンは元から、楽しむ日でもあり、生や死を考えるタイミングでもあったと思います。

 たとえば死神の仮装をするのは、その鎌で誰のことも傷つける気がないからできるのであって、そういう場所で、不意に実際の生死に直面することは耐え難いです。

 一つとしては、昨年リリースしたクリスマスEP『With Regard to Christmas』に引き続き、多くの人が挑戦してきたテーマに自分も加わってみるということでしたが、それだけではないとも思っていました。ハッピーなハロウィーンであってほしかったということです。最近、願掛けとはどういうことなのか、よく考えています。

 

 

 

Happy Halloween DEMO

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 ハロウィーンに関係する(ものに関係する)曲をつくって4曲収録しました。その4曲は、繋がっているところもありますが、別々の考えによってできています。アルバムタイトルは定番の挨拶ですが、本当にハッピーでありたいとも思って、つけました。

 すべての日の私たちにとって、生と死そのものは良いものでも悪いものでもなく、そのありようによって、さまざまな感情が伴うのだと考えています。今回の曲たちで扱われる死(過去形)は、ハロウィーンに倣って霊の形をとって表現されますが、それは本来とてもイレギュラーだと認識しています。その特別なルールを使って、普段なら難しい希望を見たり、普段なら考えないことを考えたり、そのイレギュラー自体を面白がったりします。徹底的に普段とは違う日です。

 ミックスや、ボーカルレコーディング、ボーカルエディットといった普段エンジニアの方にお任せしている部分について、私一人では品質を担保できないために、「DEMO」というタイトルをつけただけで、正式にリリースし直す予定はありません。

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1.I’m back --(霊)

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 死んで霊になったあと、ハロウィーンの時期にだけ愛する人の元へ帰ってこられることを想像しました。

 そのとき、今自分が霊であるゆえの自由と不自由があると思います。生者を含む現世の物体との身体接触が可能なのかどうかはかなり大きな問題ですが、霊単独でも、霊になったからこそできることのイメージというのがあります。たとえば重力を無視できるとか、生者にとって危ないこともパフォーマンスにできるとか。

 たぶん、久しぶりに再会した二人の片方が霊だったら、まずそういうものを楽しむ時間があると思います。あれはできるの?これはできるの?やってみてよ、とまあこれは別に芸人の知り合いに無茶振りをするみたいな嫌な感じではないと思います。二人は現世で親しかったので。とりあえずはそれで、本当に楽しい時間を過ごします。

 でも結局、多くを望むのなら、つまりずっと一緒にいたかったら、空を飛べるとか剣で刺しても死なないとかいうことに驚いている場合ではありません。生か死かどちらか選ばなければならない、とはいえ、死者が生き返るのは無理だとすれば、また来年までしばしの別れということにしておくべきでしょうが……。

 私はテレビドラマなど、特に二人の人間のロマンスを鑑賞していると、君たちあの件は話し合ったのか?絶対にあとから問題になるし、別のところから湧いた火種に釣られるようにして、つい前々から思っていたことが口に出た、というふうに表出したら、本当の最悪だぞ!早く話し合え!とやたら心配になり、何もかも起こる前からげんなりします。価値観の違いはそれ自体は何も悪いことではありませんが、知らないでいるのは私にとっては怖いことです。まあドラマなら展開上必要なのかもしれない一時的な問題のスルーですが、この二人にもそういうことが起きるのではないかと心配します。

 片方だけが勝手に思っていることを、相手もわかっていると思ってはだめです。話し合いは大事です。話し合いをしに街に戻ってきたわけではないでしょうが、念のため。

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2.sign --(第三者の目)

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 I’m backのような状況には視点が3つあります。まずは帰ってきた霊、次に霊を迎える生者、そしてそれを見る第三者です。signは霊に心奪われる生者を心配する人の気持ちです。上記でI’m backを説明する上では、便宜上私がsignの主人公(第三者)と同じ立場に立ってみましたが、signの主人公は私ではありません。

 生者と死者の交流では今を楽しんだり過去を懐かしむことはできますが、これからを望むと現世のルールとの齟齬が生まれます。

 ハロウィーンにはそういう観点があるのかわかりませんが、そもそも普段の世界には「霊感」という言葉があります。ここではひらめきのことではなくて、単に霊を感じ取る力のことです。まあ霊感に限ったことではありませんが、とある感覚がある人とない人とでは、全く世界の見え方が違うと思います。それは生者と死者の間でも起こりますし、霊からのサインに気づく生者と、そうでない生者の間でも起こります。

 このとき、第三者にとっては、「帰ってきたあの人」を喜ぶことは不自然に見えます。その人にとっては見えないということがたしかに真実だからです。死者からのサインを聞くとしても、縋るべきではないと考えます。自分は生者だという感覚も強いです。生者には生者の世界があり、死者には死者の世界があります。引き摺られて行ってしまうんじゃないかと不安になります。霊に限らず、見える恐怖もあるかもしれませんが、見えない恐怖を感じることの方が私には多い気がします。

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3.2 SEATER --(仮装)

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 3曲目なのにわかりづらくてすみません。でも3シーターなんて大型トラックくらいだと思います、と思い調べたら(とんでもない脱線!)、昔は一列目に3人座れる車がわりとあったみたいですね。まあでも流石に3シーター はないと思います。どうやっても空間が余ってしまいます。でも広々していて、それもアリですね。

 これはもともとは単に車というモチーフが好きで、車の中では積もる話もあるだろうなというようなことを想像していました。そこにハロウィーンの要素を組み込むとわりとより辻褄が合い始めることから、歌詞をそのように組み直し、3曲目に入れることに。

 「エロい話をするとお化けが寄ってこない」という話をご存知でしょうか?俗っぽい言い方ですみませんが、性的な話というよりはエロい話なのだと思います。このことを自分がどこで聞いたのかは覚えていません。有名な話かと思っていたのですが、みんなが知っている話ではないみたいで驚きました。世代なのか地域なのか。

 まあともかくこの曲はそういうルールを採用した曲です。さらに車は二人乗りなので、お化けが座れる席もありません。この二人にとっては2シーターの中でエロい話をするのが、霊から身を隠す仮装です。お化けと同じになって隠れるというルールからは外れていますが。

 この曲の歌詞を作り替えながら、このルールについて考えていました。なぜエロい話をするとお化け、ここでは悪霊にします、悪霊が来ないのか。そこには悪霊自身に何の目的があるかが関わってくると思います。

 悪霊は、自らが生き返ることを望んでいるのか、生者を道連れにすることを望んでいるのか。後者だったら納得できる気がするのです。エロい話は、究極を言えば、生きて今を楽しむことや次の命を生むことにつながるので、精力や生命力に満ちています。生きる希望を捨てさせて死の世界に道連れにしようとする悪霊には、そういう話は嫌われるでしょう。でももし自らが生き返ることを望んでいるなら、生きる力の満ちた空間には進んで侵入して、それらを吸い取って自分のものにして喜ぶような気もします。それで本当に生き返るかは知りませんが。

 でもどうあれ、二人には関係ありません。ジンクスというもの自体、リアリティに関係なく、信じている人の心にとってはある程度が確実に有効だということです。二人がそれを信じていて、安心してお互いがお互いだけを見つめているのなら、もし悪霊が来たとしても目に入りもしないということです。

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4.Halloween Day --(みんなの家)

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 これはわりとコメディのつもりで書きました。特に映像を見てくださった方にはかなりそう見えると思います。ただ考えると、帰ってきた家に知らない人がいるのは普通にめっちゃ怖いです。

 ハロウィーンの日だけは世の中の色々なルールが変わって、嘘のようなことも本当になるということで、あなたの家も、知らないお化けとあなたの、私たちの家になってしまいますが、まあ文句は言わないでください、ハロウィーンってまあそういうもんだということを、あなたも運命レベルで、知ってたでしょ?協力してください。というような歌です。

 正直に言って私は、意外と楽しいのかもしれない、という希望も捨て切れてはいません。人ならざるものと自分だけが通じ合うシチュエーションに憧れているからです。あと単純に、共同生活に夢を見てしまっています。私は寮生活やシェアハウス生活をしたことがありませんが、その辺への憧れを断ち切らないといけないと、もう何年も思っています。

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 もう今年のハロウィーンはかなり過ぎましたね。(なんならもう一年が終わりそうだ。)こういうのは終わる前にあげたほうがよかったのかもしれませんが、元々は書く気すらなく、まあ色々と心境のアレがあり、というのはまあここまで見に来ている特別熱心な方ならご存知かと思いますが、ハロウィーンリリースとともに事務所退所のご報告があり、なんだかんだそっちの方が重要なわけで、まあわりと俺にとってもふわっと通り過ぎてしまったハロウィーンだったので、せめて俺個人は文章にも残しておこうと、書いてはみたのですが、また今度は上げるかどうかでも時間が経ち、の、今。

 これからのことはこれから考えていくことになりますが、どうかよろしくお願いします!明日の俺もどうなっているかわかりませんが、やれることをやりたいです。