諭吉佳作/menたち

書きたいことを書きたいように書くかもしれないし書かないかもしれません

アイドルと大富豪について

 とあるバラエティ番組を見ていた。「アイドル以外の仕事をしたことがあるか」という司会者の問いに「アイドルしかやったことがない」「アイドル一筋」と答えるアイドルら、その甘美な響きにどきどきしてほうとため息をつきたい気持ちになった。それは気持ちだけで、実際には叫んでいた。「"アイドルしかやったことない"て!!!!!」。

 と同時に、自分はもう"アイドルしかやったことがない人間"にはなれないのだという事実に絶望した。

 アイドルにはなるかもしれない。可能性ということだけで言えば、アイドル含め、何にだって可能性がある。会社員になることも税理士になることも消防士になることもハウスキーパーになることもトリマーになることも、可能性はある。全然綺麗事でもなんでもなく、可能性だけは無限だ。しかし自分が今こうしてひとりで音楽をやったり、他人に音楽を提供したりしている時点で既に、"アイドルしかやったことがない人間"になる道は閉ざされた。戻ろうとすると、急に可能性がゼロになる。考えるまでもなく当然のことなのに、わかると虚しくなる。

 なぜだろうか?不思議だ。"シンガーソングライター(自分は、自分からシンガーソングライターを名乗ることはないのだが、"音楽家"だと行動が広すぎてもはやアイドルも含まれるかもしれないので、ここでは狭めた表現を使う)しかやったことがない人間"にそれ特有の魅力を感じることはないのに、"アイドルしかやったことがない人間"となれば途端に……途端になんだろうか。何がかはわからないが、かなりよい感じなのだ。

 自分の"アイドルという職業"への感情は屈折しすぎてもはや真っ直ぐに見えるくらいなので、自分でもよくわからない。わからないが。

 "アイドルしかやったことがない素敵なアイドル"とは……。スティックシュガーを何本分も溶かした甘いカプチーノに白いレース生地を突っ込んで、取り出して、その糸の集合が吸い上げたカプチーノに口付けて吸って、そうしてちょっとずつ体内に取り込むくらい、贅沢でかわいい感じがする。(贅沢というのは我々(我々?)アイドルを見る側にとってのであって、アイドルがアイドル以外をやったことがないのが贅沢なのではありません。)

 


 人気お笑いコンビの漫才のボケの言い分、「俺はかの有名な映画を観たことがない。お前は観たことがある。俺はいつでも観ることができるから、"観たことがある"状態にもなることができる。しかしお前はもう観てしまったから、"観たことがない人間"にはなれない。そういった意味で、観たことのない方により価値がある。」というような内容(だいたいこんなの、くらいですが)を思い出した。

 この漫才を初めて聴いた時にも、大笑いしつつ、どこかしんみり聴いてしまう部分があったのは、そういった不可逆に恐れをなしていたということなのかもしれない。

 


 それでも基本的に、知ることはめちゃくちゃいいことだ。

 みんなが面白いと思っているものの中で自分がまだ知らないもの。自分は、世の中の大半のものは、知りさえすれば好きになるのだと思っている節がある。

 好き嫌いはあるから、実際には全部が全部ということはないのだけれど、ドラマ、漫画、映画、アニメ、音楽、それらの一部は、現にとんでもない数の人々を熱狂させているのだから、たまたま自分にははまらないという可能性の方が低いのじゃないか。一番大好きなものにはならなくとも、大抵は好きになれるのではないか。まだ知らないだけで。と、思うことがある。

 だからこそ逆に、全部知って全部好きになるのが怖い。

 好きになるのは極端に楽しいが、極端に面倒なときがある。いろんなものを好きでいるのは疲れる。けれど豊かだ。しかし疲れる。それに、やっぱり、知らない時には戻れないのだから、知らない方が得をすることがあるのかもしれないと思うと、先の不可逆のことを考えて、踏み出す気を失う。

 


 俺はいまだに大富豪のルールを知らない。家族や、好きなアイドルたちが楽しそう〜にやってるのを見て、どんなゲームなんだろうかと気になっても、まだ知らないでいる。

https://twitter.com/kasaku_men/status/1327218670141984768?s=21