諭吉佳作/menたち

書きたいことを書きたいように書くかもしれないし書かないかもしれません

考えているかどうか

 18歳にもなると、さすがに自分より若い人がたくさんいる。高校も卒業した(!)。成人年齢も引き下げられるわけで、今年4月からは、法的には大人として暮らしていくことになる。(ここを書いたのは3月だったのでまだ先のこととして書いていました。さらっと4月になって、5月になりました。)

 18は大きい数ではないが、14歳のときに音楽を発表するようになったということを考えると、本人の身にもまあまあの時間の流れを感じさせられ、それが冒頭の「18歳にもなると」という表現につながったのだった。

 人前で音楽をやるようになったそのはじめのときであればどこへ行っても大抵は最年少として迎えられた。それが、まあ今でもそう大きくは変わらないけれど、近頃は年下のすごい人を年上として好きにならなければならないことが増えた。なければならぬということはないのだが、自分が若いねと言われてきたからこそ、逆の立場になったときにもそれを強く認識させられるのかもしれない。もう一つ付け加えるなら、自分は何らかの場面(それはもうさまざまな、)で「年齢は関係ない」と唱えられたとき、それは厳密にはどうだろうかと考えるタイプだから、割と年齢ということに対して敏感である。

 「もう音楽をやっているなんて」という感じだったのが、どんどん全く珍しくもなんともない年齢になっていったのだ。(とはいえ4年くらいで変わるのかわからない、本当のところはもともとそうだったのかもしれない、わからない。)

 好きな人が年下ということについては、K-POPに興味を持ち始めたのも大きいかもしれない。

 

 

 

 大人は、若者と話しているとき、「君と同じ歳の頃の自分はそんなに難しいことは考えていなかった」と言う。本当だろうか?

 嘘だ!とは言わない。まず、私は私のことしかわからないし、この考えがみんなに当てはまるわけではないだろうと思うから。もう一つは、きっと大人はその瞬間実際に、本当にそんな気がして言っている部分もあるのだろうなということが、最近の自分には身をもってわかってきたからだ。単なる遊び心だけでそれを口にするわけではないと、最近わかってきた。

 


 人生の節目でもあり華やかにアイコニックでもある18歳というレッテルがあまりに強大すぎるからか、14歳なんかは本当に子供だったのではないか?と考えるようになった。

 今までも今も、いつでも自分は子供だと思っているけれど、節目を迎えてもまだこんな感じなんだから、以前はもっともっと子供だっただろうと。それは精神的にとか、私が他の人と比べてより子供だったとかいう細かい話ではなくて、80年くらい生きるかもしれないうちの14年しか生きていない(それでも14年なんてかなり生きていると思うが)のは、世間的には案外結構、ちゃんと子供なのだろうということだ。イメージとしての"子供"。それに比べれば今の自分はある程度はまとまった年齢であると自覚させられる。

 K-POPに触れるようになってから特に、同い年とか、自分より若いという人が現れて、他人に対してああこんなに若いのに、と思うことが頻繁になった。それも、技術を持ち、真摯な態度で、それの滲み出る言葉を使う(翻訳を見ているだけだからなんとも言えないけれど)、幼くしてとんでもない環境に身を置きデビューを掴み取った(それがよいことなのか悪いことなのかは…)若者たちだ。それらを見てはさすがに、「私のこのくらいの頃はどうだっただろうか」と考え始めていた。「私はこんなにちゃんとしていなかった」と。

 あまりに勢いの強いものを見せられて、瞬間そういうふうに思うけれど、それらが年下であるにしても一、二歳しか変わらないので、実は「このくらいの頃は〜」というほど過去ではない。一、二年前のことは、空である程度思い出せる。更に自分のツイートやブログなんかを見れば、その頃の自分がどんなことをしてどんなことを考えていたのか、だいぶ細かいところまでわかる。そして、それは一、二年を経た今の自分とそれほど変わっておらず、そのときの自分も結構ちゃんと物事を考えていたということがわかるのだ。(歌って踊って更に愛嬌もするとかはないとしても、少なくとも考えの部分では。)「ちゃんと考えていた」の基準は自分だから、誰かと比べて自分の方が考えていたということではない。ただ、自分のことも自分以外の人のことも、世の中のことも、いろんなことを、たくさん考えて悩んで自分なりに結論を出したり出さなかったり、葛藤もしてきたとわかる。

 それから、さっきまで見ていた自分より若くてすごい人を、もう一度見てみる。この人はすごくすごくすごい。歌って踊って更に愛嬌もする。すごい。それは変わらない。その上で、ここまで、自分だってまあまあたくさん考えはしてきた、と思う。

 


 何かの課題を、とある大人は高校生のときに初めてクリアすることができたが、とある中学生がやってきて、その場でクリアして見せた。大人が「自分が中学生のときにはできなかったよ」と言う。もしくは、課題に挑戦したことのない大人と、クリアした子供。大人は「僕にはできない、やったこともない。君は小さいのにすごいね」と言う。あるいは、大人はクリアしておらず、子供がクリアした。大人が「僕はまだクリアしていないのに、君はすごいね」と言う。そういうことは、当然あるだろう。技術を持った人の年齢が若ければすごいなと思う。誰もがどちらの立場にもなり得る。

 例えをアイドルに戻せば、そもそも歌って踊って愛嬌は全員の通る道ではなく、全員がやりたいわけでもない。ずっとしたいと思っている自分でさえ、やったことがないのだからできるはずがない。やろうともしていないのに、それでも輝くアイドルを見ると悔しい。もしやり始めたらもっと悔しいだろう。年下のアイドルにも、年上のアイドルにも、若いのにすごいなあと思う。(本筋とは違うけれど、年齢に関係なく全てのアイドルがすごくて自分は悔しい。)そういうことはある。これからも、何に対してもあるだろう。それはもう仕方がない。考えたら急にできるようになるものでもないから自分にできることをやるしかない。

 ちなみにアイドルという仕事は、自分の今やっていることとか、置かれている環境とか、自分が自分であるかどうかとか、実際やれるかどうかとか、そういうこととは無関係に、いつでもどこでも自分が誰だったとしても憧れているものだ。これはマジで本筋とは関係がない。

 


 「君はそんなに考えていて大人だ、自分の小さい頃なんて〇〇やってただけだったよ」みたいなものが、発言自体はジョークとしても少しは本心でそう思っていたなら、たとえ瞬間的なものだとしても、若い頃の自分をそんなに下げないでほしいなと思った。ではその場で私が「たくさん考えてきた若い自分のことを気にしてほしい」と返したら単に話が読めていないだけだし、私が心配に思うのは余計なお世話なんだけれど。ただ自分もそういうふうに言うときが来るのかなと思うと、寂しい気持ちにもなるのだ。

 18年しか生きていない自分でさえ、私はどうだったかなと思ったのだから、振り返る過去が昔であればあるほど、昔の自分はなんてことない存在だったと思えるんじゃないか。それはもしかしたら、今の自分と目の前の若者とを、更に今の自分と昔の自分とを比較した結果、成長を実感するという作業かもしれないけれど、それでもちょっと切なさがある。

 だから今のうちにこれを書いておいた方がいいかもしれないと思った。みんな、そんなに何も考えずに過ごすわけじゃない。まあ、もしかしたら未来ではこの文章が「昔は本当に子供だったなあ」と恥ずかしくなる原因になっているかもしれないけれど。でも考えた証として置いておく。せめて考えはしていたということは忘れないように。

 

いやまあ別に考えなくたっていいんだけどな!全然いいよ そもそも「自分は考えてなかった」とおっしゃる方がちゃんと過去を振り返った上でも「やっぱり考えていなかった」と思うのかもしれないし それは誰と比べてとかでもなく実際に考えていたとしても考えていなかったとしてもでも個人の感覚の領域の話としてそう思うことはあるだろう けどあの自分はやっぱり考えて疲れてきた実感があるからさ それ忘れちゃうとちょっとね 疲れてきてるから や まあ全然考えなくていい