諭吉佳作/menたち

書きたいことを書きたいように書くかもしれないし書かないかもしれません

Happy Halloween DEMOについて

 ハロウィーンにも、なんだかんだ言っていろんな要素があるなと思います。カボチャ、お化け、仮装、お菓子、とかまあ色々です。

 本当に、なんとなくの知識で言っていますので、もっと知りたい方は本とかを読んでください。

 


 要素が多い分、視点の付け方にも種類が出ますね。もちろん現代人がグッズを作るためにそういうものが生まれたわけではないんですけれども。

 もし我々が現代でハロウィーンパーティをするなら、仮装をして、お菓子を渡したりもらったりして、夜にはちょっと豪華なご飯を食べたりするでしょうか。もう一歩踏み込むなら、近所のお家を回ってトリックオアトリートを言ってみたり、ということも、自分が子供で、流行病とかさえなければ、できると思います。これはハロウィーンの雰囲気の出るやり方です。

 または、霊が私たちの暮らす場所へやってくるという考え方です。関わりの深い人の霊を迎え乾杯し、悪霊からは逃れるために自らも悪霊に仮装する。これは雰囲気というよりは、意義のある考えです。

 ある一定の時期に生者と死者の世界が交わるという考えはまあ言ってしまえばお盆にも似ているんだと思いますが、ついでにお盆のことを調べてみると、お盆は先祖の霊が山から道を歩いて帰ってくるなどと考えているのに対して、ハロウィーンは世界と世界とをつなぐ「門」や「境界」のようなものからやってくると考えているらしく見える。お盆は見ている対象は基本的に親しい者の霊で、迎えるつもりであるが、ハロウィーンはその限りではない。全部がやってきて、良いものは歓迎するし悪いものからは隠れる。悪い霊というものを想像する時点で、ハロウィーン的に考える死者のほうが、お盆的死者よりも、生者とは別物だという考えなんでしょうか?

 現代のハロウィーンシーズンの影響として、友達と開く楽しいパーティ、好きなアイドルのハロウィーンコンセプト、経済効果はもちろんでしょうが、人々が集まる場所で起きる事件事故、残されるゴミなど、現代的な問題もあります。特に昨年に起きた韓国での雑踏事故はとてもショッキングでした。今年は渋谷駅前の看板もとても話題になりましたが、まああの看板の掲げ方はともかく、それだけの事故が起きたということです。

 ハロウィーンをテーマにした曲作りをしたいという考え自体は、何年も前から持っていました。ハロウィーンの持つ空気や音楽性に惹かれていたからです。悪霊から逃れるために自ら悪霊に仮装するというようなことは、一見矛盾しているようにも見え、だからこそ切実な願いそのものと感じます。私はその考えを身をもって知っているような気がしていました。ハロウィーンは元から、楽しむ日でもあり、生や死を考えるタイミングでもあったと思います。

 たとえば死神の仮装をするのは、その鎌で誰のことも傷つける気がないからできるのであって、そういう場所で、不意に実際の生死に直面することは耐え難いです。

 一つとしては、昨年リリースしたクリスマスEP『With Regard to Christmas』に引き続き、多くの人が挑戦してきたテーマに自分も加わってみるということでしたが、それだけではないとも思っていました。ハッピーなハロウィーンであってほしかったということです。最近、願掛けとはどういうことなのか、よく考えています。

 

 

 

Happy Halloween DEMO

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 ハロウィーンに関係する(ものに関係する)曲をつくって4曲収録しました。その4曲は、繋がっているところもありますが、別々の考えによってできています。アルバムタイトルは定番の挨拶ですが、本当にハッピーでありたいとも思って、つけました。

 すべての日の私たちにとって、生と死そのものは良いものでも悪いものでもなく、そのありようによって、さまざまな感情が伴うのだと考えています。今回の曲たちで扱われる死(過去形)は、ハロウィーンに倣って霊の形をとって表現されますが、それは本来とてもイレギュラーだと認識しています。その特別なルールを使って、普段なら難しい希望を見たり、普段なら考えないことを考えたり、そのイレギュラー自体を面白がったりします。徹底的に普段とは違う日です。

 ミックスや、ボーカルレコーディング、ボーカルエディットといった普段エンジニアの方にお任せしている部分について、私一人では品質を担保できないために、「DEMO」というタイトルをつけただけで、正式にリリースし直す予定はありません。

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1.I’m back --(霊)

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 死んで霊になったあと、ハロウィーンの時期にだけ愛する人の元へ帰ってこられることを想像しました。

 そのとき、今自分が霊であるゆえの自由と不自由があると思います。生者を含む現世の物体との身体接触が可能なのかどうかはかなり大きな問題ですが、霊単独でも、霊になったからこそできることのイメージというのがあります。たとえば重力を無視できるとか、生者にとって危ないこともパフォーマンスにできるとか。

 たぶん、久しぶりに再会した二人の片方が霊だったら、まずそういうものを楽しむ時間があると思います。あれはできるの?これはできるの?やってみてよ、とまあこれは別に芸人の知り合いに無茶振りをするみたいな嫌な感じではないと思います。二人は現世で親しかったので。とりあえずはそれで、本当に楽しい時間を過ごします。

 でも結局、多くを望むのなら、つまりずっと一緒にいたかったら、空を飛べるとか剣で刺しても死なないとかいうことに驚いている場合ではありません。生か死かどちらか選ばなければならない、とはいえ、死者が生き返るのは無理だとすれば、また来年までしばしの別れということにしておくべきでしょうが……。

 私はテレビドラマなど、特に二人の人間のロマンスを鑑賞していると、君たちあの件は話し合ったのか?絶対にあとから問題になるし、別のところから湧いた火種に釣られるようにして、つい前々から思っていたことが口に出た、というふうに表出したら、本当の最悪だぞ!早く話し合え!とやたら心配になり、何もかも起こる前からげんなりします。価値観の違いはそれ自体は何も悪いことではありませんが、知らないでいるのは私にとっては怖いことです。まあドラマなら展開上必要なのかもしれない一時的な問題のスルーですが、この二人にもそういうことが起きるのではないかと心配します。

 片方だけが勝手に思っていることを、相手もわかっていると思ってはだめです。話し合いは大事です。話し合いをしに街に戻ってきたわけではないでしょうが、念のため。

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2.sign --(第三者の目)

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 I’m backのような状況には視点が3つあります。まずは帰ってきた霊、次に霊を迎える生者、そしてそれを見る第三者です。signは霊に心奪われる生者を心配する人の気持ちです。上記でI’m backを説明する上では、便宜上私がsignの主人公(第三者)と同じ立場に立ってみましたが、signの主人公は私ではありません。

 生者と死者の交流では今を楽しんだり過去を懐かしむことはできますが、これからを望むと現世のルールとの齟齬が生まれます。

 ハロウィーンにはそういう観点があるのかわかりませんが、そもそも普段の世界には「霊感」という言葉があります。ここではひらめきのことではなくて、単に霊を感じ取る力のことです。まあ霊感に限ったことではありませんが、とある感覚がある人とない人とでは、全く世界の見え方が違うと思います。それは生者と死者の間でも起こりますし、霊からのサインに気づく生者と、そうでない生者の間でも起こります。

 このとき、第三者にとっては、「帰ってきたあの人」を喜ぶことは不自然に見えます。その人にとっては見えないということがたしかに真実だからです。死者からのサインを聞くとしても、縋るべきではないと考えます。自分は生者だという感覚も強いです。生者には生者の世界があり、死者には死者の世界があります。引き摺られて行ってしまうんじゃないかと不安になります。霊に限らず、見える恐怖もあるかもしれませんが、見えない恐怖を感じることの方が私には多い気がします。

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3.2 SEATER --(仮装)

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 3曲目なのにわかりづらくてすみません。でも3シーターなんて大型トラックくらいだと思います、と思い調べたら(とんでもない脱線!)、昔は一列目に3人座れる車がわりとあったみたいですね。まあでも流石に3シーター はないと思います。どうやっても空間が余ってしまいます。でも広々していて、それもアリですね。

 これはもともとは単に車というモチーフが好きで、車の中では積もる話もあるだろうなというようなことを想像していました。そこにハロウィーンの要素を組み込むとわりとより辻褄が合い始めることから、歌詞をそのように組み直し、3曲目に入れることに。

 「エロい話をするとお化けが寄ってこない」という話をご存知でしょうか?俗っぽい言い方ですみませんが、性的な話というよりはエロい話なのだと思います。このことを自分がどこで聞いたのかは覚えていません。有名な話かと思っていたのですが、みんなが知っている話ではないみたいで驚きました。世代なのか地域なのか。

 まあともかくこの曲はそういうルールを採用した曲です。さらに車は二人乗りなので、お化けが座れる席もありません。この二人にとっては2シーターの中でエロい話をするのが、霊から身を隠す仮装です。お化けと同じになって隠れるというルールからは外れていますが。

 この曲の歌詞を作り替えながら、このルールについて考えていました。なぜエロい話をするとお化け、ここでは悪霊にします、悪霊が来ないのか。そこには悪霊自身に何の目的があるかが関わってくると思います。

 悪霊は、自らが生き返ることを望んでいるのか、生者を道連れにすることを望んでいるのか。後者だったら納得できる気がするのです。エロい話は、究極を言えば、生きて今を楽しむことや次の命を生むことにつながるので、精力や生命力に満ちています。生きる希望を捨てさせて死の世界に道連れにしようとする悪霊には、そういう話は嫌われるでしょう。でももし自らが生き返ることを望んでいるなら、生きる力の満ちた空間には進んで侵入して、それらを吸い取って自分のものにして喜ぶような気もします。それで本当に生き返るかは知りませんが。

 でもどうあれ、二人には関係ありません。ジンクスというもの自体、リアリティに関係なく、信じている人の心にとってはある程度が確実に有効だということです。二人がそれを信じていて、安心してお互いがお互いだけを見つめているのなら、もし悪霊が来たとしても目に入りもしないということです。

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4.Halloween Day --(みんなの家)

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 これはわりとコメディのつもりで書きました。特に映像を見てくださった方にはかなりそう見えると思います。ただ考えると、帰ってきた家に知らない人がいるのは普通にめっちゃ怖いです。

 ハロウィーンの日だけは世の中の色々なルールが変わって、嘘のようなことも本当になるということで、あなたの家も、知らないお化けとあなたの、私たちの家になってしまいますが、まあ文句は言わないでください、ハロウィーンってまあそういうもんだということを、あなたも運命レベルで、知ってたでしょ?協力してください。というような歌です。

 正直に言って私は、意外と楽しいのかもしれない、という希望も捨て切れてはいません。人ならざるものと自分だけが通じ合うシチュエーションに憧れているからです。あと単純に、共同生活に夢を見てしまっています。私は寮生活やシェアハウス生活をしたことがありませんが、その辺への憧れを断ち切らないといけないと、もう何年も思っています。

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 もう今年のハロウィーンはかなり過ぎましたね。(なんならもう一年が終わりそうだ。)こういうのは終わる前にあげたほうがよかったのかもしれませんが、元々は書く気すらなく、まあ色々と心境のアレがあり、というのはまあここまで見に来ている特別熱心な方ならご存知かと思いますが、ハロウィーンリリースとともに事務所退所のご報告があり、なんだかんだそっちの方が重要なわけで、まあわりと俺にとってもふわっと通り過ぎてしまったハロウィーンだったので、せめて俺個人は文章にも残しておこうと、書いてはみたのですが、また今度は上げるかどうかでも時間が経ち、の、今。

 これからのことはこれから考えていくことになりますが、どうかよろしくお願いします!明日の俺もどうなっているかわかりませんが、やれることをやりたいです。

プリとPrint<Love>Club

※一時的な公開かもしれない

※挿入されているgif画像はミュージックビデオとは無関係です

 

 プリを何度か経験した人たちは、その楽しさ、華やかさ、連帯感、全能感に加えて、自分たちの顔は一体誰のものなのかという複雑な問い、さまざまな考えを持ってきたと思います。

 ビデオを公開したこのタイミングで、もう一度プリについて考えました。AI生成の顔の有機的なリップシンク、プリクラコーナーを闊歩する匿名の人間、ノイズたっぷりの映像は、ただ視覚的にも面白い映像であるとともに、考えさせられます。(これは私が視聴者として勝手に言っている感想で、ディレクターの山崎連基さんの意図とは無関係です。)

諭吉佳作/men「Print〈Love〉Club」Music Video - YouTube

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 プリの画像を公開すると「誰かわからなかった」「顔が違いすぎ」などと言われることがあるでしょう。そういうコメントを読んで、ああ確かになと思いますが、ごく客観的な視点だとも思います。知らない人が外から特に深い意味もなくそういうことを言うのです。

 私とあなたはさっき一緒にプリを撮ったので、シールに写る二人が誰なのかわからなくなることはありません。そもそも私たちはよく知り合っているので、120%の加工を選択した顔でも、見たらわかるのです、たぶん。そういうわけで、君ら私たちのことを知らないだけだろうと怒ってやりましょう。でも、落書き中、あなたが「これは盛れなかった」と言って自分の顔をペンで塗りつぶすのは、見ていてちょっと心が痛かった。そういう経緯を思い出すと、「顔が違いすぎ」の意味もまた変わってきます。

 たしかに写真の中で顔は変わっているし、さらに隠そうとする事実もある。

 私たちの顔は誰のものなのか?どうしてもその問いを無視できない瞬間もまた、ある気がしています。

 「盛れる」は楽しくて面白くて、追求心と技術革新の結晶であるのにそれを鼻にかけず、あまりにあっけらかんと言い放つもはや武道のような表現であるけれども、同時に「盛れない」という対義語を生みます。「盛れる」と同様に、その言葉を発することは比喩と語感によってスナックほどにも軽いが、だからこそより深刻に思えるのです。

 使用ハードルの下がったネガティブなワードを頻繁に口に出すことで、その意味に打ち勝つか、逆に支配されるかは、人によるでしょう。

 (「盛れる」という言葉は現在、多くはプリやカメラアプリを含む顔加工、派生して通常のカメラ写りが好ましいときに使われますが、起源がプリであるという確認が取れているわけではありません。)

 何より、「盛れた」とき、それは何が盛れているのか?誰の視点から盛れているのか?目を大きく、鼻梁を細く、頬や顎を削られ、肌の色艶を調整される。同じ機械の中にいる限り、ほとんど全員が同じ場所に向かっているように見えます。(最近は、人物を選択しより細かい加工の設定ができるようになってもいます。)

 私は今でこそそれを奇妙な連帯感・画風の統一のユーモア(と、あとは何と言ったらいいか難しいが、顔がどうとかじゃなくフォーマットとしての「kawaii☆」みたいな感覚)として興味深く捉えていますが、顔を正しく直してもらっていてそれがありがたい、と思っていたときも確かにあったはずです。

 世間のユーザーはどう思っているのでしょうか?多くのユーザーやプリ機の側が、「顔を正しく直します」と思ってプレイしているのだとすれば、私はもうこれからは顔の加工をしないでほしいと頼むのかもしれません。でもみなさんやプリ機がどういう意味で顔の加工をするのか、私はよく知らないか、知らないふりをしています。

 ユーザーたちに憂いがないことを願っています。加工を120%にした顔がかわいくて好きで鏡に映った顔もかわいくて好きで全部嬉しいと思えたら本当にすごく最高です。プリの顔が提示されたことによって逆にオリジナルの方が鬱ぐことがあってはならないと思うのです。写真よりも肉体のほうが先にあるのに、それで肩身の狭い思いをさせられたら元も子もないと思います。

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 私自身プリには多少の思いがあって(でなければこんな曲を書くはずがありませんが)、まず機械の構造が好きで、外でのコイン投入とパネル操作、ブースへ入って撮影、ブースを移動し(この移動が本当に素晴らしいです)、落書き、外でシールの受け取り、こんな遊びは本当にすごいと思うのです。また遊んでねと快活に言われるが、これは遊びなんてそんなやさしいものなのか?と思います。

 そしてプリはとても勤勉です。ある時には世のトレンドを追いかけ、またある時には独自のこだわりを追求したテーマ性のある機械をリリースします。

 シールが半透明の大きな写真一枚になったとき、ブース内の段差を活かして多様なポージングを可能にした機械や、カメラの位置・角度を自分で動かせる機械、最大15人もの人が参加できる機械が登場したとき、私はやっぱりこんなものはなかなか他にはないなと思いました。私が知るだけでもこんなに変革があったのです。私の知らない、現在のプリの形になる前の機械から今の姿になるまでを辿ったら、言うまでもなくもっとたくさんの変化をしたでしょう。

 最近は、ブース内がある程度の閉鎖空間であることを利用して、夏季限定の肝試しコースを追加した機械があって、それを知ったときはよくわかりませんが大笑いしました。肝試しが万人にとって嬉しいかはともかく、よい空間のアイディアだなとわくわくしました。そしてプリは体験だと実感するのです。

 私はPrint<Love>Clubを、プリ讃歌であり人生讃歌である曲を書きたいと考えてつくりました。プリ人生です。

 プリも人生も、選択の連続で、より良い方を自分で選ぼうとするけれど、それは自分の手の中であったり、手の中に入れたり、はなから外であったりする。進む方向がわからなかったら教えてくれる人もいるし、あとははしゃいで、互いの存在を感じ合って、時には過度に求められる協調や世の古い価値観を不安に思うこともありつつ、そのわけのわからなさも含めてみんなでロールプレイしていく。それを保存していく。私たちは楽しくて面白い爆発的な瞬間を求めてプリ機にコインを入れます。そしてあっという間に終わってしまう。

 ただプリの声をやりたかったんだろと言われたらそれはマジでそうなのですが、実際に曲を作ると決めたあとは、そういう晴れ晴れしたものを書きたいとはっきり思っていました。

 ここからも、まったく監督の確認をとっていない、私個人の感想です。

 上記のような考えがあったので、まだ監督どころか映像を作ることも決定していないような曲の制作の段階には、正直、私はもっと明るくて、底抜けにハッピーな映像を想像していました。

 曲自体、プリ機の中で流れているBGMをイメージして作っていたので、変に具体的な考えですが、たとえば皆さんがプリ撮影のシーンをさらにスマホで撮影して、それを思い出の映像として編集するとしたら、BGMはPrint<Love>Clubであってほしい、みたいなことも考えました。(ぜひやってみてください。)だから、柄じゃないとわかっていますが、もう直球な、まんまの、山あり谷ありだがとにかく楽しくて、この人生が好きで好きで仕方ない、みたいな映像かなと。

 もし私と同じように、曲から人生最高!という感じの印象を受けていた方がいたら、今回公開されたビデオには少しだけびっくりされたかもしれません。まあどちらにせよ、人生好き好きビデオなっていたらいたで、今度は逆に"諭吉佳作/menのミュージックビデオ"としてはびっくり、という感じになっていたでしょう。そもそもこれまでと全然違うこの曲を収録することも悩みましたし。

 ミュージックビデオ制作が決定し、もともと私自身もファンであった山崎連基さんにお願いすることになりました。山崎さんにつくっていただいたPrint<Love>Clubのミュージックビデオは、楽しげですが、狂気も感じます。それがプリ的にも思えます。撮った本人とその写真を見る他者とでああも感想が違うものはそうないはずだからです。プリの持つ突き抜けた意志に似たものを、この映像からも感じる気がします。

 単純に映像として面白くて好き(他人事みたいだが、本当に面白くて好き)なのですが、考えることもあります。

 もし自分の顔が自分のものと思えないような感覚に苦しめられている人がいるとしたら、この映像の、楽しくおかしくもどこか狂気じみたはちゃめちゃさに、助けられるかもしれないと思ったりしました。この考えはちょっと、私は制作者ではないので、裏の裏の裏、みたいな感じかもしれません、わかりませんが、無遠慮なほど次々新しく現れてはいなくなる存在しないAIの顔に、顔とは結局何だろうか?そんなに気にするようなもんだろうか?と一旦フラットなところへ立ち返るような感じがします。私的には。

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 ここからは、現実のプリ機と、Print<Love>Club制作にまつわる反省です。ここまでもそうだったかもわかりませんが、この先はさらに、まったくわくわくするような話ではありません。

 私は今回公開されたビデオの編集段階のデータを共有していただき、プレビューしたときに、久しぶりに自分の身体が女性であることを思い出しました。

 自分はそういう見た目とはまた離れているとは思いますが、傾向として、髪が長くメイクアップされた女性的とされる顔つきの人たちが代わる代わる登場する映像に、客観的な意味での「プリ機を利用する自分の立場」を思い出しました。私の身体は女性です。

 ここでは、プリを純粋に楽しもうとする女性、それからプリを純粋に楽しもうとする男性のみ一人以上の客がプリを利用できないケースについて触れていきます。

 これから、(内容は詳細ではありませんが)プリ機の中で起こる犯罪等の話を、おそらく被害者にも、当然加害者にもなったことのない私の立場から、書かせてもらいます。

 続けます。

 基本の想定される客層が女性で、ほとんどの場合で男性主観はカップルコースにしか含まれないなど、そもそもプリという商品自体が純粋にプリを楽しもうとする男性のプレイには手厚くない側面がありますが、利用自体ができないのはもちろんそういう問題ではありません。

 ナンパや乱入、痴漢、盗撮等の迷惑行為・犯罪行為が横行したことで、対応として徐々に、男性のみでの利用を制限する決まりが個々の施設によってつくられるようになったようです。現在もすべての施設で施策されているわけではなく、注意喚起の張り紙だけがされていて、利用については制限のない店舗も見たことがあります。

 先ほども、プリ機はある程度の閉鎖空間だと書きました。クオリティの高い撮影や没入を助けるための構造ですが、それを悪用し、他者を脅かしたり、傷つけたりする人間がいるようです。決して許されません。

 まず何よりも、プリ機の中で何らかの被害を受けた人は、(もちろんプリ機の中でのことに限りませんが、)勝手な他人の悪意のせいで傷つけられてしまいます。その後、ただ楽しみたいと思っても、プリ機に入ることができなくなってしまう可能性もあります。

 当然、すべての男性が迷惑行為・犯罪行為をはたらくわけではありませんし、すべての迷惑行為・犯罪行為が男性によって行われるわけでもありませんから、すべての男性の利用を禁止することは解決法とは言えません。でも、迷惑行為・犯罪行為をはたらく男性たちが自らの男性であることで得られる特権を意識的あるいは無意識的に悪用しているのも、また事実だと思います。

 私は曲中で、「おれたち」という三人称を使用しました。(他にも「僕ら」「おれら」を使っています。)この曲で讃美するプリ人生とは、全ての人のである、という思いからでした。「おれ」は単に私の一人称ですが、男性性の表現のために用いられることも多くあるので、プリの当事者になりがちな女性だけでなくより多くを内包する表現にできるかもしれないと思い、意図的に使用しました。

 これまで書いてきた曲にはなかったポジティブさと祝福を感じる曲になった気がして、嬉しかったです。でもそれは音楽の中の話で、少なくともまだ現実には、いろいろな意味で、すべての人にとってのプリ人生が実現してはいないのかもしれません。それをあまり考えていなかったなと思いました。全部、プリに限ったことではないですが。

 まずは女性が安心して利用できる、セーフスペースになってほしいです。とにかく。そしていつかは、純粋にプリを楽しもうとするすべての人がただ純粋に楽しく遊べる場所になったらいいな……。そこにあらゆる憂いがひとつもないといいと思います。

 


 ビデオ公開でこの曲のことをもう一度考え直したとき、プリ文化を好きで曲を書いたことの責任を感じて、ひとまず書いてみることにしました。認識の間違い等はぜひおしえてください。

2022/men

 今が西暦何年かをわからないといけないのは何かしらの書類を用意するときか、生まれ年から誰かの年齢を計算したいときくらいのもので、つまり、そんなには機会がない。

 私は未だに今年を2020年だと思い込んでいるときがあるが、それもさほど問題にはならない。日付を書くときは必ずiPhoneのカレンダーを確認するから2022年だとわかる(わかった上で書くのを間違えることは、正直よくある)し、他人の年齢が2歳若返るのも私の頭の中だけ、それも一瞬のことだから、たぶん問題はない。

 みんなが頑張ってくれているので、俺は必要なときにちょっと軽い気持ちでiPhoneに触れば正確な日付を理解することができる。そうなってくると、俺の弱点はiPhoneということになるかもしれない。そんなに意外なことではない。今ってそういう時代だ。iPhoneに細工をされたら俺は危ないだろう。日付の表示に細工をれたことで追い込まれる窮地があるとしてそれがたとえばどんな地なのかは、ちょっと思いつかないが。大事な用事がわからなくなって信頼を失うとかだろうか。うわあちゃんと窮地だ。危ない。

 私が何年だと思っていても今はたしかに2022年で、それももうすぐ終わる。次は2023年だ。……なにかがおかしい。どうやっても結論が「早いなあ」になってしまう。上記は全部「今年も日が過ぎるのが相当に早かった」で始めないために書いた文章だ。そのわりには結論どころか出だしから避けきれていないようなところもあるし、このブログは失敗だ。

 ふと、なぜ年末が怖いのだろうかと疑問に思った。今年が早くて何がいけないのか。それが解決されるより先に、別に怖くないのではと発想する。うん、別に全然怖くないのかもしれない。僕年末が怖くないです。漠然としたことでなく、実務的なことでなら、色々あるだろうけどれども、全然怖くないです。

 そう書いた日の夕方は散歩に出かけた。冷たい風を浴びながらふと、年末が怖いとしたら戻らないことが怖いんだなと思った。そういえば以前のブログにも書いたことがあるし、最近のインタビューでもそう言ったなあと思い出す。

 毎年誕生日がくると漠然と不安になるのを、単なる老いへの恐れと解釈するのには無理があると思っていた。体力などはともかく、精神的な、もしくは対人的なことでは若さを手放したいと思う瞬間が多い。子供でいる方が便利なときもあるが、その逆も当然あるし、しかも多分にある。

 中途半端に若い今の自分からすればまあまあ昔のことに思えるが、14歳のときに、5115という曲をアップロードした。14歳の主人公に関する曲を14歳のうちにアップロードすると決意して実行することは、ゲーム内で実績を解除するようなことだった。仮にそれ自体に意味がなくても、少なくともそれをしたという実績だけは保存されるということだ。15歳に変わるときも不安だったが、5115があれば自分の14歳というバッジはずっと保存されるだろうと信じることができた。そう、戻れないことへの不安は、保存できないことへの不安だ。

 俺はいろんなものを保存しようと、コレクションしようとしている。その気持ちがなければ作品を作らない。(たまに、自分が死んで燃えて消えた後に、家やそこに含まれるがらくただけが、ただ目的を忘れて残っているところを想像する。長い間電源を入れられていない昔のiPhone数台とか、今は俺に好かれているということだけでここにあるものが、俺がなくなったらどうなる?そういうことを考えているときは、何をするにもだめだ。本当には保存なんかできっこないしありもしないということを忘れているときだけが、本当に生きていられるときだ。)

 今は、10代のうちに10代に関する曲を書いておかなければならないだろうという考えに駆られている。これは自分にとってすごくいいことだ。でももうほとんど時間がない。完璧にとはいかなくても、なるべくそうしたいと思う。今の自分のすることは今の自分の望むことであってほしいといつも思っている。

 


 さて、では今年は何を保存したかというと。

 楽曲提供を行い、数は多くはないがライブにも参加し、デジタルリリースの形でシングルとEPを発表できた。ひとつずつ振り返る。

 

 

 

---リリース・ライブ---


⚫︎2022.3.13

ミームトーキョー さん主催

「What's inside the box Vol.2」出演


現体制のミームトーキョーさんに初めてお会いした。同じくゲスト出演のウ山あまねさんとお会いしたのも、実はこの日が初めてだった。お二方のライブとても良かった。

ミームトーキョーさんの名乗りに混ぜてもらったのも不思議な経験だった。

 

 

 

⚫︎2022.6.17

三上唯 さんライブペイントイベント「変身」出演


三上唯さんのライブペイントと一緒に歌わせていただいた。

自分の背後に絵が映されていて、そうなれば当然後ろを向かないと絵は見えないのだが、たまにそうしたときに、本当にちょっと、感極まった。

急に 誰も何もみてないしばれない と unbirthday をやった。

 

 

 

⚫︎2022.6.18

やついフェス2022出演

 

いかにもライブハウスという雰囲気の会場は久しぶりだったような気がする。いやどうだろうか?定義もわからないが。

一帯が同じ目的を持った人がわらわらしていて、祭りっていいなあ熱いなあと思った。出番後にお笑い観に行った。

 

 

 

⚫︎2022.8.31

「誰も何もみてないしばれない」配信リリース


3ヶ月連続配信リリースの第1弾。タイトル通りの曲。

つくってからそこそこ温めていた曲だったから、コメントを求められたとき少し困って、書いたが、あれは作者のコメントではなくて聞き手の感想だと思う。

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⚫︎2022.9.30

根本凪 さんEP『lume di spica』リリース

収録曲「タイニーグレープフルーツ」の作詞/作曲/編曲を担当


根本凪 さんが新たにVtuber活動をはじめて、こうしてまた音楽作品に関わることができて嬉しい限りです。

テーマをいただき、自分以外の人が歌うことを考えてつくるのはおもしろい。いつの間にか根本凪さんのYouTubeで制作の際のLINEを読み上げられていたのも良い思い出。

例のごとく(?)、題をつけたのは自分ではありません。

 

 

 

⚫︎2022.9.28

「pάː」配信リリース


3ヶ月連続配信リリースの第2弾。

この曲のコメントも感想みたいな感じだった。

これは、なぜかここまで言ってこなかったのだが、タイトルは単に「par」という単語の、イギリス英語の発音記号のつもりだった。自分自身、正直発音記号のことは全然知らないから、正しいのかもよくわからないし、後に読み方をよく聞かれることになって、これはそんなに読むものではないのか、と思った。今でもよくわかっていない。記号っぽいものをつけたいと考え、この方法を思いついて採用した。

結果的にプールのことを保存できるものになっただけで、プールのことを書こうとしたわけではない。

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⚫︎2022.10.24

和田輪 さん1stミニアルバム「Living」リリース

収録曲「フェードイン」の作詞/作曲/編曲を担当


和田輪 さんとは Maison book girl のライブにゲスト出演したことがあり、そこからのご縁(?)でお声掛けいただいた。すごくすごく光栄に思った。ボーカル入りの音源が返ってきたとき、声の力に驚いて、嬉しかった。

 

 

 

⚫︎2022.10.26

「unbirthday」配信リリース


3ヶ月連続配信リリースの締めとなる第3弾。これのコメントも長くておかしかったが、感想にはならなかった。最近につくった曲だからね。

インタビューなどでも話したが、色々な意味で、後のWith Regard to Christmasにもつながっている曲。

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⚫︎2022.11.19

LAUSBUB 1st EP Release Tour「M.I.D.」出演


LAUSBUB さんのリリースをお祝いすべくライブに参加し、はじめてお会いした。同い年の人とこうして何かすること自体が珍しく、それがLAUSBUBさんという最高の二人組であることもあいまって、非常に感慨があった。ライブもすごく楽しんだ!

 


⚫︎2022.11.23

アーティスト写真公開


どんな写真を撮るかぽつぽつと話しているときに、「あ、浮きますか?」と言ったら、承諾してもらえた。

身を整えていただき、よく浮いているところをよく撮っていただき、それに似合う服を着せていただき、感謝しているし、とても満足しています。

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⚫︎2022.11.29

「CHRISTMAS AFTERNOON」ミュージックビデオ公開


EP『With Regard to Christmas』から先行でミュージックビデオが公開された。

戸田真琴 さんに監督をしていただき、ストーリー調の映像が完成した。かねて望んでいた戸田さんとの制作はとても刺激的だった。本当に、すごくすごくすごく楽しかった。そう思わせてくれた、戸田さんをはじめとするスタッフの方々に感謝したい。衣装もメイクも映像も、撮っているときも面白かったし完成したものも面白くて嬉しい。

それから単純に、自分はミュージックビデオ撮影活動が好きなんだなと思った。前回も思った。次回も思うはずだ。

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⚫︎2022.11.30

EP『With Regard to Christmas』配信リリース


クリスマスに関する曲を新たに5曲書いた。え?と思ってもらえたらいいなと思った。

一週間前に急にリリース予定を公開した。直後のインスタライブで「とにかく聞けばいいんです」と言ったので強気に思われたかもしれないが、正直その言葉は自信の表れではなく、ただ、間近すぎて本当に何も説明するようなことがなかったからそう言っただけです。

内容については曲を聴いてもらって、取材などを読んでもらえればよいと思うのでここに書くことはこれくらい。

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---メディア---


2022.1.22 音楽ナタリー

【マイベストトラック2021】シンガーソングライター編


2022.1.26 MG

注目アーティストたちが語る「いま、推したい音楽2022」


2022.2.15 BRUTUS

「はじめる。」特集


2022.8.10 standfmプレミアムウィーク

エレキコミック やついいちろうさんと対談


2022.10.24 FM大阪『Music Bit』 出演


2022.11.15 BRUTUS

「次の次を生み出す、Z世代のクリエイター」インタビュー


2022.11.26 B-PASS

『With Regard to Christmas』インタビュー


2022.11.29 69号室の住人 出演


2022.12.6 BARKS

『With Regard to Christmas』インタビュー


2022.12.10 OTOTOY

『With Regard to Christmas』インタビュー


2022.12.14 TBSラジオ『アフター6ジャンクション』LIVE & DIRECT 出演


2022.12.15 TOKION

連載「音楽家・諭吉佳作/menの頭の中」開始

第1回「言葉の可能性を考える」

 

 

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 今年ということとは無関係な前置きが長すぎてあまり振り返った感じがしません。②は書くべきらしいことが思いついたら、書いてみようと思います。その場合はこちらのタイトルにも①がつきます。

 今年一年もまたお疲れ様です。

 

考えているかどうか

 18歳にもなると、さすがに自分より若い人がたくさんいる。高校も卒業した(!)。成人年齢も引き下げられるわけで、今年4月からは、法的には大人として暮らしていくことになる。(ここを書いたのは3月だったのでまだ先のこととして書いていました。さらっと4月になって、5月になりました。)

 18は大きい数ではないが、14歳のときに音楽を発表するようになったということを考えると、本人の身にもまあまあの時間の流れを感じさせられ、それが冒頭の「18歳にもなると」という表現につながったのだった。

 人前で音楽をやるようになったそのはじめのときであればどこへ行っても大抵は最年少として迎えられた。それが、まあ今でもそう大きくは変わらないかもしれないけれど、近頃は年下のすごい人を年上として好きにならなければならないことが増えた。なければならぬということはないのだが、自分が若いねと言われてきたからこそ、逆の立場になったときにもそれを強く認識させられるのかもしれない。もう一つ付け加えるなら、自分は何らかの場面(それはもうさまざまな、)で「年齢は関係ない」と唱えられたとき、それは厳密にはどうだろうかと考えるタイプだから、割と年齢ということに対して敏感である。

 「もう音楽をやっているなんて」という感じだったのが、どんどん全く珍しくもなんともない年齢になっていったのだ。(とはいえ4年くらいで変わるのかわからない、本当のところはもともとそうだったのかもしれない、わからない。)

 好きな人が年下ということについては、K-POPに興味を持ち始めたのも大きいかもしれない。

 

 

 大人は、若者と話しているとき、「君と同じ歳の頃の自分はそんなに難しいことは考えていなかった」と言う。本当だろうか?

 嘘だ!とは言わない。まず、私は私のことしかわからないし、この考えがみんなに当てはまるわけではないだろうと思うから。もう一つは、きっと大人はその瞬間実際に、本当にそんな気がして言っている部分もあるのだろうなということが、最近の自分には身をもってわかってきたからだ。単なる遊び心だけでそれを口にするわけではないと、最近わかってきた。

 


 人生の節目でもあり華やかにアイコニックでもある18歳というレッテルがあまりに強大すぎるからか、14歳なんかは本当に子供だったのではないか?と考えるようになった。

 今までも今も、いつでも自分は子供だと思っているけれど、節目を迎えてもまだこんな感じなんだから、以前はもっともっと子供だっただろうと。それは精神的にとか、私が他の人と比べてより子供だったとかいう細かい話ではなくて、80年くらい生きるかもしれないうちの14年しか生きていない(それでも14年なんてかなり生きていると思うが)のは、世間的には案外結構、ちゃんと子供なのだろうということだ。イメージとしての"子供"。それに比べれば今の自分はある程度はまとまった年齢であると自覚させられる。

 K-POPに触れるようになってから特に、同い年とか、自分より若いという人が現れて、他人に対してああこんなに若いのに、と思うことが頻繁になった。それも、技術を持ち、真摯な態度で、それの滲み出る言葉を使う(翻訳を見ているだけだからなんとも言えないけれど)、幼くしてとんでもない環境に身を置きデビューを掴み取った(それがよいことなのか悪いことなのかは…)若者たちだ。それらを見てはさすがに、「私のこのくらいの頃はどうだっただろうか」と考え始めていた。「私はこんなにちゃんとしていなかった」と。

 あまりに勢いの強いものを見せられて、瞬間そういうふうに思うけれど、それらが年下であるにしても一、二歳しか変わらないので、実は「このくらいの頃は〜」というほど過去ではない。一、二年前のことは、空である程度思い出せる。更に自分のツイートやブログなんかを見れば、その頃の自分がどんなことをしてどんなことを考えていたのか、だいぶ細かいところまでわかる。そして、それは一、二年を経た今の自分とそれほど変わっておらず、そのときの自分も結構ちゃんと物事を考えていたということがわかるのだ。(歌って踊って更に愛嬌もするとかはないとしても、少なくとも考えの部分では。)「ちゃんと考えていた」の基準は自分だから、誰かと比べて自分の方が考えていたということではない。ただ、自分のことも自分以外の人のことも、世の中のことも、いろんなことを、たくさん考えて悩んで自分なりに結論を出したり出さなかったり、葛藤もしてきたとわかる。

 それから、さっきまで見ていた自分より若くてすごい人を、もう一度見てみる。この人はすごくすごくすごい。歌って踊って更に愛嬌もする。すごい。それは変わらない。その上で、ここまで、自分だってまあまあたくさん考えはしてきた、と思う。

 


 何かの課題を、とある大人は高校生のときに初めてクリアすることができたが、とある中学生がやってきて、その場でクリアして見せた。大人が「自分が中学生のときにはできなかったよ」と言う。もしくは、課題に挑戦したことのない大人と、クリアした子供。大人は「僕にはできない、やったこともない。君は小さいのにすごいね」と言う。あるいは、大人はクリアしておらず、子供がクリアした。大人が「僕はまだクリアしていないのに、君はすごいね」と言う。そういうことは、当然あるだろう。技術を持った人の年齢が若ければすごいなと思う。誰もがどちらの立場にもなり得る。

 例えをアイドルに戻せば、そもそも歌って踊って愛嬌は全員の通る道ではなく、全員がやりたいわけでもない。ずっとしたいと思っている自分でさえ、やったことがないのだからできるはずがない。やろうともしていないのに、それでも輝くアイドルを見ると悔しい。もしやり始めたらもっと悔しいだろう。年下のアイドルにも、年上のアイドルにも、若いのにすごいなあと思う。(本筋とは違うけれど、年齢に関係なく全てのアイドルがすごくて自分は悔しい。)そういうことはある。これからも、何に対してもあるだろう。それはもう仕方がない。考えたら急にできるようになるものでもないから自分にできることをやるしかない。

 ちなみにアイドルという仕事は、自分の今やっていることとか、置かれている環境とか、自分が自分であるかどうかとか、実際やれるかどうかとか、そういうこととは無関係に、いつでもどこでも自分が誰だったとしても憧れているものだ。これはマジで本筋とは関係がない。

 


 「君はそんなに考えていて大人だ、自分の小さい頃なんて〇〇やってただけだったよ」みたいなものが、発言自体はジョークとしても少しは本心でそう思っていたなら、たとえ瞬間的なものだとしても、若い頃の自分をそんなに下げないでほしいなと思った。ではその場で私が「たくさん考えてきた若い自分のことを気にしてほしい」と返したら単に話が読めていないだけだし、私が心配に思うのは余計なお世話なんだけれど。ただ自分もそういうふうに言うときが来るのかなと思うと、寂しい気持ちにもなるのだ。

 18年しか生きていない自分でさえ、私はどうだったかなと思ったのだから、振り返る過去が昔であればあるほど、昔の自分はなんてことない存在だったと思えるんじゃないか。それはもしかしたら、今の自分と目の前の若者とを、更に今の自分と昔の自分とを比較した結果、成長を実感するという作業かもしれないけれど、それでもちょっと切なさがある。

 だから今のうちにこれを書いておいた方がいいかもしれないと思った。みんな、そんなに何も考えずに過ごすわけじゃない。まあ、もしかしたら未来ではこの文章が「昔は本当に子供だったなあ」と恥ずかしくなる原因になっているかもしれないけれど。でも考えた証として置いておく。せめて考えはしていたということは忘れないように。

 

いやまあ別に考えなくたっていいんだけどな!全然いいよ そもそも「自分は考えてなかった」とおっしゃる方がちゃんと過去を振り返った上でも「やっぱり考えていなかった」と思うのかもしれないし それは誰と比べてとかでもなく実際に考えていたとしても考えていなかったとしてもでも個人の感覚の領域の話としてそう思うことはあるだろう けどあの自分はやっぱり考えて疲れてきた実感があるからさ それ忘れちゃうとちょっとね 疲れてきてるから や まあ全然考えなくていい

2021/men②

 何にしても本当にCDリリースをできてよかった。まず最初に思いつくことはどうしてもそれだ。

 いろんなことをした。リリースに伴いはじめてのことをいくつかした。どれも素晴らしい経験だった。でもなんとなくもう言うことがないような気がしているのは、取材をしていただいたり、自分の中で考え尽くしたりして、もうわざわざ書き記しておくまでもないと感じているからかも知れなかった。

 


 ああ、でも、本当に別にもう、書くことがないかもしれない。あまり急ぐのはやめよう。書きたいことが現れてきたときに現れた分だけ書くことにする。

 


 現れなかった!

 最近は、頭の中で考えたことを、もう全部伝えた気になっているときがある。だからだろうか?現れてこないのは。

 当たり前だけれど、この世の誰にも、外に見せる部分と見せない部分があり、それはその人によって意識的だったり無意識的だったりするのだろうけれど、たとえ意識したとしても、全部を見せられる人はいない。また、全部を隠せる人もいないだろう。(私自身はそのことを非常に悔しく思って生活しているが、実際問題、制御できないということもまあそれなりには重要で、無意識下で見せる態度によって他者から好かれ(たり、嫌われたりし)て結果的にプラス(もしくはマイナス)になるようなことがあるのはわかっている。)

 私はというと、どちらかと言えば意識的に、見せたり見せなかったりしているつもりだった。他人にとってふとたまたま垣間見えたように感じられる私の一部は、私にとっては存外、熟考した上での披露だったりもする。そういうことを考えながらSNSをやっていた。が、最近は逆に、もうすでに全部見せた気になっていて、新鮮な反応をされたとき、あ、そうかこれを書くのは初めてか、と思い出すことがある。

 だから何というわけではないが、私自身にとってこれは意外な変化だ。

 見せないようにしていたのにふと発露してしまった、ということはあるだろう。理解できる。私は考えている方だから比較的(何との比較?他者?)には少ないと思うが、全てを制御するのは難しい。悔しいけれど、そういう、つい出てしまった、というようなことは、私自身の気づかないところで私にも起こっているに違いない。でもその逆はよくわからない。伝えたけれど伝わっていないということも違う。伝えていないのに私のことを全部知られているような気がしているときがある。

 だからもう今更書かずとも全部知られているのでは?なんて……

 と文章にしていて、本当か?と思い始めた。なんでも、文章にしたら嘘っぽくなる。それに、書いていると、全部知られているわけがないだろ、と冷静な自分が言う。やっぱり、どれだけ頭で考えたところで駄目で、いや別に、頭で考えたいだけならばそれでいい。ただ見せようと思うのなら書かなくてはならない。

 ここまでが前置き!

 


 CDをリリースしたということが私の2021年にとってどれだけ大きなことだったのか。

 たくさんの人の力も借りていろいろと準備して、ようやく4月7日にリリースを発表、そこでまず関心をもらって、気が抜けてもうリリースを終えた気になったのが懐かしい。

 5月25日フラゲ日、普通に学校に行って、そのあとふらっとタワーレコードに行った。店内であまりに自然にムーヴが流れていて、それが終わるとままが流れた。なんだかおかしかった。

 リリースをするってことは、単にリリースをするということではない(私は、なんか知らんけど、この言い回しを日常生活でもよくする)。まずアーティスト写真を撮った。それから収録曲のミュージックビデオを撮ったり、取材を受けたり、音楽と関係なくアンケートで参加した雑誌にもリリース情報が載ったり、ラジオなど番組出演もした。リリース活動には必然的にこういうことも含まれてくるのだ。(それを必然と思うのは私の中のリスナー的な感覚からであって、実際には私のチームとして動いてくださる会社の人たちの努力だったり、ありがたく外部からオファーをいただけたりした結果なのだが。)ミュージックビデオの撮影や取材などは、それ自体ははじめてではなかったけれど、個人リリースありきのそれはまた新鮮だ。楽しい。

 今年はライブ出演は少なかった。けれど、こういう状況の中でも安全に配慮して開催されたオンライン・オフラインイベントに自分も助けられた。自分が出演したものもそうだし、自宅から見ていたものにも。

 


 まず振り返ると、自分は曲のタイトルを決めるのが得意ではない。あれとそれを判別できればいいのだからなんでもいいだろ!という気持ちと、いやでも一応なんかいい感じのを決めなきゃ……という気持ちが入れ替わり立ち替わり現れる。だから大層迷うだろうと思っていたCDのタイトルだけれど、自分の中では案外さっと決まったような気がする。それを言い出しづらかっただけで。そう、すごく言いづらかった記憶がある。なぜだろう?なぜかすごく言い出しづらかった……。

 からだポータブルというCDは、実はからだポータブルができる前から存在していた。私がごく個人的に趣味で書いていた物語の中にだ。その話に出てくる佐塚さんという人(それは別にどうでもいい)が自主制作したCDのタイトルが「からだポータブル」だった。だったというか、私がそうしたからそうだ。今回のEPに関しては、それをそのまま使ってみた。今考えるとなんで?って感じだけれど、それは諭吉佳作/menの時点でそうだから、考えても仕方ない。

 架空のCDとしての「からだポータブル」は、リズムを手がかりにしただけの、単なる二つのワードの連結だった。しかし現実のCDのタイトルとして考えたとき、その名は自分自身の願いとも一致していることに気づき、まあ後付けなのだが、むしろそのくらい軽い命名であること自体がCDを私のCDたらしめるということもあり、決めてしまった。

 放るアソートに関しては、もうそのままだ。共作の相手も、作りはじめた季節も、内容も、ほとんどばらばらなそれらを「諭吉佳作/menが関わっている」という一点を理由に一つにまとめてしまうのだから、その少々投げやりなくらいに混在している様をタイトルからアピールしないわけにはいかない。その方がかえって誠実だと感じた。それで放るアソートだ。土台が理性的なわりに、こちらもリズムっぽい。考え込んだ記憶はないのだが、はまっているなと思う。収まりがよい。

 


 ミュージックビデオの撮影はなんか、本当にいつでもやりたい!と思う。よくわからないけれど、なんか、やりたい!と思う。そのときは当然疲れて帰るんだけれど、なんか、いつでもやりたい!と思う。

 私が一人で音楽をつくるとき、まったく聴き心地の違う二曲を作るとしても、その工程はさほど変わらない。今のところ、それがどんな曲であろうと、基本的には一人で打ち込みをするだけなのだ。レコーディングも歌うのは自分一人。けれど、実写でミュージックビデオを撮るなら、仮に私一人の曲だとしても、毎回全然違うだろう。個人の曲で撮った実写のミュージックビデオは一本なので「だろう」としか言えないけれど。

 曲も監督も変わって、やることも変わるから映像も変わる。当たり前だけれど、ごく簡単に言葉にしたらそういうことになる。耳で聞こえることと目で見えることの違いも根本にあるわけだから、本当に当たり前のことだけれど、そういうことになる。

 あとやっぱり、やるのは自分でも、考えるのは自分じゃなかったりするわけで、あまりそういうふうには見えないかもしれないけれど、私は何かをやらされるのが好きなので、そういうのも楽しくて、いつでもやりたい。そのためにはまずミュージックを作らないとミュージックビデオはつくれないですね。いやまあ、ビデオからミュージックを作るという方法もなきにしもあらずかもしれませんが。難しいでしょうね。ちょっとやってみたくなってきた。

 


 予想だけれど、次のまとまった作品があるとすれば、変なこだわりみたいなものは薄れて、より冷静に意図的に作ることもあるのではないかと期待している。

 からだポータブル が「変なこだわり」のためだけに作られたものだというわけではないけれど、周りの人も自分も待たせた一作目だったのだ。初めてなりに、抽象的で個人的な願いが含まれていたのは否定できない。その気持ちが制作活動を突き動かしていたとも言える。悪い気持ちだったとは思わない。そして二回目以降にはそれがなくなるかもしれないことも、悪いことだと思わない。

 


 何かやりたいことがたくさんある気がしているのだが、ちゃんとまとめないとまとまってくれない。

 2022年はにゃんにゃんって感じだし、寅年だし、元気を出していきたいと思います。がお

2021/men①

 今年は本当に早かった。今年は早かったと毎年言い続けているしこれからもそうなのだろうから、もう言わなくていいし、ブログの始まり方としてもそんなによくないと思うけれども、こんな注意書きをしてまで出だしに書こうと決めるくらい、今年は早かった。

 早かったというか、記憶がない。印象に残っている出来事はたくさんあるのだが、それ以外の記憶の方はあまりないような気がする。生きた実感が薄い。と書いてみて、どの年でもだいたいそんなもんじゃね?と思ったが、昨年どうだったかというのは一年を更新した今忘れている。

 実は、昨年は振り返りのブログを書いていないらしかった。だから尚更どんなモードだったのかわからない。

 

 とりあえず今年の行いについてご報告します。結構ごちゃごちゃ書いていて、自分でも混乱しています。

 抜けているものがあったらこっそり教えてください。

 

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⚫︎2021.2.26


fishbowl - 「深海 feat.諭吉佳作/men」


ミュージックビデオ

https://youtu.be/d1lNjt3F11I


静岡県を拠点とするアイドルグループ fishbowl の初楽曲「深海」のボーカルを担当し、深海 feat.諭吉佳作/menとして先行公開。

 

 

⚫︎2021.4.7

 

からだポータブル・放るアソートリリース発表

 

5月26日にCDリリースすることを発表しました。このときすでに満足しかけていました。

 

 

⚫︎2021.4.13〜

 

坂元裕二 朗読劇「忘れえぬ 忘れえぬ」、「初恋」と「不倫」

 

坂元裕二さんの朗読劇の音楽を担当させていただきました。主題歌 はなしかたのなか と挿入歌を書き下ろしました。とても光栄でした。

 

 

⚫︎2021.5.9


はなしかたのなか 先行配信

f:id:ykcksk_men:20211231163728j:image

https://tf.lnk.to/hanashikatanonaka

 

坂元裕二 朗読劇「忘れえぬ 忘れえぬ」、「初恋」と「不倫」 の主題歌として書き下ろした曲。からだポータブルからの先行配信です。

 

 

⚫︎2021.5.21

 

YouTubeチャンネル開設


この星にされる ミュージックビデオ公開

f:id:ykcksk_men:20211231164047j:image

https://youtu.be/_xVslFWnxek


YouTubeチャンネルを開設し、からだポータブル から この星にされる のミュージックビデオを公開。監督は 渋江修平 さん。

 

 

⚫︎2021.5.26


からだポータブル

放るアソート

f:id:ykcksk_men:20211231163338j:image


念願の初CD作品リリース。からだポータブルは全新曲のソロ盤、放るアソートは既存曲+新曲のコラボ盤。


からだポータブル

https://www.toysfactory.co.jp/sp/artist/yukichikasakumen/disco/2260

1.ムーヴ

2.まま

3.ショック

4.外B

5.この星にされる

6.くる

7.はなしかたのなか

8.撫で肩の…………


放るアソート

https://www.toysfactory.co.jp/sp/artist/yukichikasakumen/disco/2261

1.「動く物の園」abelest + 諭吉佳作/men

2. 「巣食いのて」長谷川白紙 + 諭吉佳作/men

3.「むげん・ (with 諭吉佳作/men)」崎山蒼志

4.「Lucid Dream feat.諭吉佳作/men」AFRO PARKER

5.「たべられる♡/たべられない?」ミドルエステート(根本凪+諭吉佳作/men)

6.「すなばピクニック」 Kabanagu + 諭吉佳作/men

 

 

⚫︎2021.5.28


すなばピクニック  Kabanagu + 諭吉佳作/men ミュージックビデオ公開

f:id:ykcksk_men:20211231163556p:image

https://youtu.be/pKF_p_IIujI


放るアソート から Kabanagu さんとの「すなばピクニック」のミュージックビデオが公開。監督は マルルーン さん。

 

 

⚫︎2021.6.7


Tシャツ発売

https://store.toysfactory.co.jp/sp/shop.asp?cd=56


グッズのTシャツ2種が出ました。

 

 

⚫︎2021.6.11


ムーヴ ミュージックビデオ公開

f:id:ykcksk_men:20211231163632p:image

https://youtu.be/LhAvRK7s5UM


ムーヴ のミュージックビデオが公開されました。監督は 杉山峻輔 さんと JACKSON kaki さん。


⚫︎2021.6.18


巣食いのて 長谷川白紙 + 諭吉佳作/men


配信

https://ultravybe.lnk.to/sukuinote

ミュージックビデオ

https://youtu.be/uG-wC-gyC80


放るアソートにも収録された長谷川白紙さんとのコラボ曲が配信。長久允 さん監督のミュージックビデオも公開されました。

 

 

⚫︎2021.7.20


長谷川白紙 1stワンマン「ニュー園 ショーケース」ゲスト出演


キュー のカバーのカバーと、長谷川さんと一緒に 巣食いのて を歌いました。

 

 

⚫︎2021.8.21


絵で

f:id:ykcksk_men:20211231164152j:image

配信

https://yukichi.lnk.to/ede

Artiswitch 第5話

https://youtu.be/7i77aMP_-uQ


配信アニメーション Artiswitch 第5話の挿入歌として書き下ろした曲。第5話公開の翌日に配信されました。

 

 

⚫︎2021.10.8


「P.O.N.D.」オープニングパーティー出演

https://youtu.be/eP8YnX-Mq8w


渋谷PARCOにて行われたイベント P.O.N.D. のオープニングパーティーにライブ出演。個人としてはリリース後初ライブでした。

 

 

⚫︎2021.10.30


「Serial experiments huez」vol.01  supported by ONE STOP STUDIO TOKYO 出演


huez さん主催の オンラインXRライブイベント。からだポータブルから全曲歌いました。

 

 

⚫︎2021.12.11


SANRIO Virtual Fes in Sanrio Puroland 出演


憧れのサンリオピューロランド園内でライブさせていただきました。何も言わず急に誰も知らない新曲をやりました。

 

 

⚫︎2021.12.18


内山結愛 ソロ公演「Y」ゲスト出演


RAY 内山結愛 さんのソロ公演「Y」にゲストとして出演。ソロでムーヴを、内山さんと一緒にこの星にされるを歌いました。

 

 

⚫︎2021.12.22


内山結愛 - Y   ミュージックビデオ公開

https://youtu.be/5dMWZjXguvo


内山結愛 さんの初ソロ曲として「Y」を作詞・作曲・編曲しました。

 

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メディア

 

・2021.1.13 J-WAVE SONAR MUSIC 出演

・2021.1.15 TOKION インタビュー

・2021.1.28 ユリイカ2021年2月号 特集 坂元裕二 寄稿

・2021.4 ことばと 寄稿

・2021.5.18 TOKYO MX 69号室の住人 出演

・2021.5.20 ミュージック・マガジン6月号 インタビュー

・2021.5.25 スペースシャワーTVスペシャのヨルジュウ♪ インタビュー出演

・2021.5.26 TBSラジオ アフター6ジャンクション 出演

・2021.5.26 bounce インタビュー

・2021.5.26 音楽ナタリー インタビュー

・2021.5.28 装苑 「私の空想の素」特集 掲載

・2021.5.28 MG インタビュー

・2021.5.29 VVmagazine 根本凪さんとの対談

・2021.6.2 SPICE インタビュー

・2021.6.3 logirl 奥森皐月の公私混同 出演

・2021.6.15 MUSICA7月号 インタビュー

・2021.6.18 Soundmain インタビュー

・2021.6.28 ZIP-FM LACHIC CENTURY SESSION 出演

・2021.7.11 J-WAVE TOKYO HOT 100 出演

・2021.7.28 anan 「新世代カルチャー」特集 掲載

・2021.7.28 VOGUE JAPAN Z世代が見据える、「私たちの未来予想図」掲載

・2021.7.28 bayfm 78 musi-curate 出演

・2021.8.2 K-mix Wiz. 出演

・2021.9.6 J-WAVE SONAR MUSIC 嵐トリビュート コメント+カバーオンエア

・2021.12.16 MUSICA アンケート掲載

 

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 ここでは今年やったことをまとめたので、おそらく②で感想を書きます。

2021.7.1

 7月1日だ。びっくりだ。もう7月になってしまった。7月は好きだ。私の好きな数字は7だ。誕生日もあるし、ラッキーセブンだから。自分と同じ日に生まれた(歳には差がある)アイドルもそれと全く同じことを言っているのを見て、7月生まれの人が言いがちな台詞なのかも思ったことがある。理由になりやすいとは思うけれど、みんながみんな、誕生月の数字を好きになるわけではないだろうから。

 夏はあんまり好きじゃない。暑いより寒い方が得意だ。夏と冬どっちが好き?とか、暑いのと寒いのどっちが得意?と聞かれたら、迷わず「暑い夏は嫌いだ」と答える。人間は熱を生み出すことは自発的にできるし、そうでなくても、寒かったら着ればいいから。リアルクローズにとって現実的かはともかく、着るのは無限にできる。けれど反対に、冷たさは自分では生み出せない。できるとしても、汗をかいて体温を下げようとするだけで、冷たさが発生するわけじゃない。暑くて脱いでも、脱ぐのは無限じゃない。皮膚やその感覚までは脱げないから。限界まで、つまり素っ裸になったところで、照りつける日差しは直に迫ってくるだけだから。だから暑い夏の方が嫌いだ。そう答えていた。こうして書いてみると、なんだか感情がないみたいで気持ちが悪いなと思った。

 でも今年は、概念としての夏は好きになってきた気がする。私が本当は"Summer"みたいなものを嫌いじゃないということを、表に出すのが恥ずかしくなくなってきた。まあ夏らしいことは今の私の身には起こっていないから、まだわからない。夏は要素が多いから好くのも嫌うのも簡単だ。

 考えてみると、夏らしいことなんかここ数年、した覚えがないのだ。夏の季語になりそうな、海だとかアイスクリームだとかそういったものの記憶は案外、夏とは結びついていない。

 私が最後に海に行ったのは昨年の3月だった。二人で行った。まだまだ冷たい風の吹く海辺でいろいろな話をした。内的な話だった。もしもあの日が、日差しの強く照りつける夏のど真ん中だったら、話す内容まで違っていたかもしれない。あの日も、天気は良かった。そして海は青かったけれど、寒かった。だから裸足を海水につけたりしなかったし、アイスクリームやかき氷を食べることもなかった。

 つまり夏が夏らしくあるためにはやっぱり暑くなければいけないし、逆に、季節が夏でなくとも、暑ささえあれば夏のようになるということだろうか。

 


 なんの話をしているんだろう。ぶっちゃけ、昨日の私が「明日はブログを書く」と決めたから今日の私がこれを書かされているだけで、何も書きたいことはない。

 今から書くことも、書きたいわけではないけれど、今月とも関わりのある話だから、今書いておく。ここまでは季節のご挨拶だったということにして。

 


 2021年5月26日、はじめてのCDリリースを行った。ソロの新曲のみで構成された『からだポータブル』、新曲含むコラボ曲のみで構成された『放るアソート』の2枚同時リリースだ。

 ありがたいことに、たくさん取材をしていただいたから、このリリースについて、ここで話すようなことはない。ただ、今日が7月だと気づいたときはじめに抱いたのは、18歳になる前にリリースができてよかったな〜という漠然とした達成感だった。それを一応、せっかくだから、書いておこうかなと思った。

 別に、18歳になったら何かがあるわけではなくて、これが19歳でも20歳でも同じことだったと思うけれど、できるなら早い方がよいのは当然そうだと思って、そのときたまたま17歳だったから、17歳ですと言えるうちにリリースしたかった。だからできて嬉しい。そんだけです。

 これはリリースとは全く関係のない、単なる年齢の話だけれど、今月私は18歳になる。歳をとりたくないとは思わない。むしろもっと一足飛びに歳をとってしまいたい。18歳になったら投票もできるし、結婚もできるし、R-18のコンテンツだって見られるようになる。でもそういう、大きな区切りみたいなものから逃れたい。区切りを迎えたとき、めでたく思う気持ちは大いにあるけれど、なんとなく恥ずかしくなる。早く歳をとって、全部できる状態になってからスタートしたい。だから30歳になりたいと言った。まあでもそれも正しくはないだろう。

 


 こんなに何もない文章を書いたのは久しぶりだ、次はちゃんとしよっ❕